木場公園~横十間川親水公園~亀戸天神社
(木場~亀戸)

木場駅(地下鉄東西線)~木場公園~横十間川親水公園~亀戸天神社~亀戸駅(JR総武線)
mark木場公園(きばこうえん)
木場公園
木場公園

 仙台堀川をはさみ南北にまたがる面積24.2haの総合公園。昭和44年(1969)11月に発表された江東防災6拠点の一つとして、大震火災時の避難広場に位置づけられている。また、昭和52年(1977)4月には「天皇陛下御在位五十年記念事業の公園」に指定され、昭和53年(1978)2月に都市計画決定された。

木場公園大橋と東京スカイツリー
木場公園大橋と東京スカイツリー
仙台堀川
仙台堀川

 木場公園大橋から崎川崎に出て、石住橋から仙台堀川公園へ歩く。仙台堀川は、江戸時代にその沿岸に仙台藩伊達氏の蔵屋敷があったことからこの名がついた。

千石地蔵尊
千石地蔵尊
八重桜
八重桜

 千石地蔵尊は、昭和22年(1947)3月10日未明、米軍機の東京大空襲により、我が郷土は焼け野原と化し、堀割や路傍、学校などで、尊い生命が数多く奪われ、殆ど肉親に逢うこともなく葬られた。

仙台堀川公園
仙台堀川公園
花の小径
花の小径

 仙台堀川が流れる区内東部は特に地盤が低く、「天井川」で常に水害の危険にさらされていた地域。そのため防災性を考慮し、緑に重点を置き「区民の森」として造成された。園内には、桜並木、花の小径、サイクリングロード、多目的広場、親水池などに加え、彫刻、陶壁や護岸ギャラリーなど、心なごませる芸術作品が数多く配置されている。

mark横十間川親水公園(よこじっけんかわしんすいこうえん)
横十間川親水公園
横十間川親水公園

 横十間川の内、東陽6丁目地先の大横川合流点から北砂1丁目地先の小名木川へつづく長さ約1900mの川を生かしながら整備した大規模な親水公園。横十間川は江戸初期に開削され、川幅は十間(約18m)あり、江戸城から見て横に流れていたのでこの名称になったそうです。園内にはボート場・水上アスレチック、水辺の散歩路、水鳥の集まる淡水池区内では珍しい田んぼや花菖蒲園などがある。

横十間川
横十間川
クローバー橋
クローバー橋

小名木川
小名木川
横十間川と東京スカイツリー
横十間川と東京スカイツリー

 小名木川は、隅田川と中川とを結ぶ運河で、慶長年間(1596-1615)に徳川家康の命をうけた小名木四郎兵衛によって開削された。当初は、下総(千葉県)行徳の塩を江戸に運ぶことが目的であった。その後、船堀川(江戸川区)が開削されると、小名木川は、江戸と利根川・鬼怒川・霞ヶ浦沿いの河岸(船着場)や、さらには東北地方太平洋岸の港とも結ばれる、水上交通の大動脈の一部となった。

mark亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)
亀戸天神社
亀戸天神社

 寛文2年(1622)、太宰府天満宮の神官大鳥居信祐が、神木で菅原道真像をつくり、亀戸村に祀ったのが始まりという。翌年から心字池・太鼓橋など、太宰府天満宮を模して造営された。境内の梅・藤の花が名所となり、学問の神様ということもあって、江戸時代以来行楽を兼ねた多くの参詣客を集めてきた。昭和20年(1945)の東京大空襲で全焼したが、現在では太鼓橋と社殿がコンクリート造で再建された。

弁天社
弁天社
神牛座像
神牛座像

 弁天社f寛文5年、太宰府天満宮心字池畔に鎮まり座す志賀社を勧請したのを始めとするが、時代の推移と共に、七福神の一つであり無量の福徳を与える弁財天(水の神・音楽の神)の信仰と習合し、一般には弁財天と親しまれて、福徳福知を増し天災地変を消除する開運出世・芸能成就の神として信仰されてきた。
 天神様・菅原道真公は、承知12年(845)「乙丑の年」の6月25日に生まれ、延喜3年(903)2月25日に太宰府の配所で亡くなった。葬送の列が進む中、御遺体を乗せた車を曳く黒牛が臥して動かなくなり、これは道真公の御心によること、その場所を墓所と定められた。

五歳菅公像
五歳菅公像
太助灯籠
太助灯籠

 昭和52年(1977)の御神忌1075年大祭記念として奉納される。台座に菅原道真公の五歳の時、庭前の紅梅を詠まれた和歌を刻す。
 塩原太助奉納の灯籠。塩原太助は、江戸時代の中期から後期にかけて、今の両国本所相生町で薪炭商を営み、一代で富を築き、その豊富な私財を道路の改修や、土木工事など庶民のために投じたことから、義人としての評判を得た。

御嶽神社
御嶽神社
紅梅殿
紅梅殿

 御嶽神社は寛文9年(1669)11月21日に太宰府御嶽山より勧請し建立され、古くは亀戸妙義社とも号された。現在の御社殿は、菅原道真公御神忌1075年大祭記念事業の一つとして、昭和51年(1976)に再建された。
  紅梅殿は御本社と時を同じくして、寛文2年(1662)に太宰府天満宮の御神木「飛梅」の実生を勧請し、社殿前に奉斎したのを起源とし、昭和63年(1988)に現在地に再建された。

松尾芭蕉句碑
松尾芭蕉句碑
藤棚と東京スカイツリー
藤棚と東京スカイツリー

 しはらくは 花の上なる 月夜哉
 菅原道真公の御神忌九百年にあたる享和2年(1802)2月25日、松尾芭蕉門下の人々が芭蕉百年忌にあわせて建立した。
 藤棚の上に見える 東京スカイツリービューポイントである。

燐寸塚(清水誠氏の碑)
燐寸塚(清水誠氏の碑)
船橋屋
船橋屋

 日本で初めてマッチの国産化に成功した 清水誠氏の碑。火を使うことにより私たちは今日の文明を築いてきたと言っても過言ではありませんが、明治の初期までは火打ち石などを使っていた。氏が明治3年(1870)にフランスに渡り、造船学の傍らマッチの製造技法を学び明治9年(1876)に本所柳原町に新燧社を起こしマッチの工業化に尽くした。
 元祖くず餅は、時は文化2年(1805)、学問の神様と謳われ、沢山の参拝客で賑わう亀戸天神社。その境内に生まれたのが、船橋屋・初代勘助が故郷下総(船橋)名産の小麦粉を用いて作った「くず餅」である。その味は、神社詣でと共に親しまれるようになり、庶民の味・文化として今日まで200余年受け継がれている。

白藤と太鼓橋(男橋)
白藤と太鼓橋(男橋)

 大鳥居をくぐると心字池があり、3つの橋が架けられ、太宰府天満宮の境内にならって造られている。これは池と橋を人の一生に見立てた『三世一念の里』と言って、最初の 太鼓橋(男橋)は生きてきた過去を、次の平橋は今が見える現在を、次の太鼓橋(女橋)は未来をあらわし、3つの橋を渡るごとに心が清められ、神前へと進む。

⇒ 木場周辺 ウォーキングマップ
⇒ 亀戸周辺 ウォーキングマップ