散歩コース
西荻窪駅(JR中央線)~善福寺公園~善福寺~井草八幡宮~荻窪八幡宮~善福寺川緑地~阿佐ヶ谷駅(JR中央線)「善福寺川の水源、 善福寺池を中心とする都立公園である(面積7万8600余㎡)。善福寺池は井の頭池・妙正寺池・三宝寺池などとともに武蔵野の代表的な湧水池の一つである。最近は湧水量の減少のため地下水の汲上げに頼っている。」(※)
「文治5年(1189)、初代将軍源頼朝は奥州合戦(鎌倉政権vs奥州藤原氏)の時、このあたりで軍勢が水に渇えた際、頼朝が神明に念じて、弓をもってこの地を掘ったところ、霊水が湧き出たという。それがこの他の起源伝説になっている。」(※)
1月6日にはコハクチョウが飛来しテレビニュースやテレビ中継でも放映された人気の公園。
本尊は阿弥陀如来像で室町期のものと伝えられる。もと無量山福寿庵と称する浄土系の寺院が、かつて 善福寺池畔にあった善福寺(廃寺)にちなんで、今の称に改めた。現在の本堂は、昭和40年(1965)の再建で、白壁の明るい堂である。春には境内の桜が美しい。
大鳥居のある東参道は200m余もあり、5年ごとに行なわれる流鏑馬神事の馬場ともなる。
境内は、 南面して神門廻廊を廻らした荘麗な 拝殿・幣殿・渡殿・本殿などが棟を連らねており、それらは松・槍・樺・樟・椎など数々の樹木に園まれ、別天地の観がある。
大灯籠は昭和42年(1967)、別表神社に列せられたのを記念にして造られた。高さは約9mで、屋根は銅板葺きで八畳分の広さがある。
頼朝公御手植の松は、鎌倉時代初頭の文治5年(1189)、源頼朝は奥州合戦に向かう途中、 井草八幡宮に戦勝祈願に立ち寄った。その後、無事奥州平定に成功した頼朝公は、その報賽として建久4年(1193)、社頭に雌雄二本の松を自らの手で植え奉納した。
両参道が合する道の奥に二層の 楼門が建つ。その楼門をくぐると、手水舎・神楽殿・招神殿などのほか、文華殿(鉄筋コンクリート造の宝物館)がある。
旧上下井草村の鎮守であると同時に、戦前の官国幣社に準ずる別表神社で、祭神は八幡大神である。この地域一帯はまた遅野井とも称され、明治時代まで遅野井八幡宮とも呼ばれていた。
関東管領であり、武蔵の領主であった、上杉定正に対し、家臣の長尾景春が武蔵を侵さんとして石神井城主・豊島泰経及びその甥の平塚城主・豊島泰明と款を通じて反逆した。これを激怒した上杉定正は江戸城主 太田道灌に出陣を命じた。。
「旧上荻窪村の鎮守で、祭神は応神天皇である。社伝では、宇多天皇の寛平年間(889-97)に創祀されたという後冷泉天皇の永承6年(1051)に、河内源氏二代目棟梁源頼義が奥州東征の途次ここに宿陣し、戦勝を祈願、のち康平5年(1062)凱旋 するに当たって、社を修めたという。社の南一帯の丘地を「館」としたと伝えられ、今なおこの辺りを「城山」と称している。」(※)
善福寺緑地は善福寺川に沿った全長約3.0kmの細長い公園で、園内には約400本のサクラがある。春には散策路沿いは桜並木サクラの名所になっている。
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