皇居乾通り一般公開の紅葉
(東京)

東京駅(JR東海道線)

 平成26年(2014)より、天皇陛下の傘寿を記念して春季と秋季に実施した皇居乾通り一般公開。冬晴れの下、皇居乾通りと東御苑の見事な紅葉・黄葉を楽しむことができた。
 平成27年(2015)12月5日~9日の間、約20万人の方々が来場された。

mark皇居乾通り(こうきょいぬいどおり)
皇居の正門石橋と伏見櫓
皇居の正門石橋と伏見櫓

 皇居外苑は一般には皇居前広場として親しまれている。江戸時代には西の丸下と呼ばれ、江戸城の巽(東南)を防備する拠点の郭として、日比谷入江を埋め立てて築造された。馬場先門跡から西にすすむと、皇居で最も美しい景観の一つとされる皇居正門・鉄橋(二重橋)前に至る。皇居前広場の北西に坂下門がある。江戸時代は西の丸下から西の丸への裏門として使われていた。

坂下門前の待ち行列
坂下門前の待ち行列
坂下門
坂下門

富士見櫓
富士見櫓

 慶長11年(1606)本丸造営工事の際に、櫓台地域の石垣を加藤清正が築いており、富士見櫓もこのときに創建されたと考えられている。皇居外苑からうっそうとした線の中にそびえて見える櫓は,この富士見櫓である。明暦の大火で焼失した後、万治2年(1659)三層の櫓として再建された。天守閣が再建されなかったので,江戸城中央部に位置するこの櫓が.天守閣のかわりの役割を果たした。慶応4年(1868)5月の彰義隊との戦争(上野戦争)では、政府軍の指揮官大村益次郎は、この櫓から上野の寛永寺の堂塔が炎上するのを見て、勝利を確信したという。
 富士見櫓は、明暦の大火で天守閣が焼失した後は、天守閣の役割を果たしてきた。現存する櫓は桜田二重櫓(巽櫓)・富士見櫓・二重橋奥の伏見櫓の3基だけで、いずれも関東大震災の被害をうけたが、外観は、従来通りに、コンクリート作りで復元されている。

山下通り
山下通り
乾通り
乾通り

イロハモミジの紅葉
イロハモミジの紅葉

局門前の黄葉
局門前の黄葉

局門
局門
富士見多聞
富士見多聞

 富士見多聞は、石垣上に築いた長屋造の建物で、城壁の役割をもち、武器や諸道具の収蔵庫に用いた。本丸の多聞15棟の中で現存する唯一のものである。将軍が政務をとり、寝室でもあった御休息之間の前にあったことから、江戸時代は御休息所前多聞といわれていた。

トウカエデの黄葉
トウカエデの黄葉
トウカエデの黄葉
トウカエデの黄葉

下道灌濠
下道灌濠
西桔橋
西桔橋

 道濯濠は、江戸時代には蓮池濠から的場曲輪の西まで通じて、西の丸と吹上御苑とを区画していた。この濠は石垣を組まずに台地を切り割っただけのもので、太田道灌時代の旧濠といわれているが、さだかではない。明治に入って山里曲輪と吹上御苑を結んでいた釣橋が撤去され、そこが埋め立てられたために、濠は下道灌濠と上道灌濠とに二分されることとなった。
 蓮池濠にかかる西桔橋(有事には橋をはね上げて敵を遮断できる構造になっていた)をわたり、西桔橋門跡の桝形を上がると、皇居東御苑に入る。

蓮池濠
蓮池濠
乾濠
乾濠

 乾濠は江戸城中で最も重厚壮大で、曲線の変化に富む美しい石垣が見られる。乾濠は、水面から12mに達する高い石垣と塀が続いている。

2015.12.9 皇居乾通り一般公開(秋季)
2015.12.9 皇居乾通り一般公開(秋季)
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トウカエデの黄葉
トウカエデの黄葉
乾門
乾門

 乾門は、明治21年(1888)明治宮殿造営の際、皇居の通用門として新設された門で、酉の丸裏門を移築したものである。本柱のほかに控柱をもち、切妻破風造の屋根をもつ薬医門形式の門(裏門に多い)で、移築の際に左右袖が増築された。皇居の乾(北西)にあたるとから乾門と名づけられた。

⇒ 皇居周辺 ウォーキングマップ