皇居東御苑の紅葉
(東京)

東京駅(JR東海道線)

 乾門から皇居東御苑の皇居東御苑へ入る。皇居東地区に位置する皇居東御苑は、旧江戸城の中心であった本丸二の丸と三の丸の一部にあたり、新宮殿の造営と並行して整備・造園され、昭和43年(1968)から一般に公開された。
 真っ赤な紅葉と椿園のサザンカが見頃でした。

mark皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)
乾濠(北桔橋門より)
乾濠(北桔橋門より)
平川濠(北桔橋門より)
平川濠(北桔橋門より)

 乾濠は江戸城中で最も重厚壮大で、曲線の変化に富む美しい石垣が見られる。乾濠は、水面から12mに達する高い石垣と塀が続いている。

北桔橋門近くの紅葉
北桔橋門近くの紅葉

椿園のサザンカ
椿園のサザンカ

椿園のサザンカ
椿園のサザンカ

椿園のサザンカ
椿園のサザンカ
ロウラン(ツバキ科)
ロウラン(ツバキ科)

展望台の眺め
展望台の眺め
汐見坂から白鳥濠
汐見坂から白鳥濠

諏訪の茶屋
諏訪の茶屋

 皇居東御苑は、皇居の東地区にあたり、旧江戸城の本丸及び、二の丸を中心とした地域で、約21万㎡ある。江戸城の旧地は、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて江戸氏が館を構えていた。江戸氏退転後、長禄元年(1457)、太田道灌は約1年間を費やして居城を築き、文明18年(1486)までの30年間住んでいたが、この時の江戸城の規模や形態についてはよくわかっていない。
 諏訪の茶屋は、明治時代に吹上御苑に建てられ、ご休所として使われていた茶屋を移築したものである。

2015.12.9 皇居乾通り一般公開(秋季)
2015.12.9 皇居乾通り一般公開(秋季)
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 二の丸庭園は、寛永13年(1636)、二の丸御殿と小堀遠州の作庭になる池泉庭園が完成された。しかし、三代将軍徳川家光は気に入らず、新たに世嗣竹千代(四代将軍徳川家綱)の居所として、本丸御殿に準じた規模の御殿と庭園につくりかえさせた。そののち、この御殿は前将軍の側室が晩年を過ごす場所となり、焼失と再建を繰り返し、慶応3年(1867)12月23日江戸城開城の直前に全焼した。その跡地は荒廃していたが、昭和43年(1968)、家光による再建当時の「二之丸御絵図」を参考にして、築山泉水の回遊式庭園が復元された。

二の丸池
二の丸池
イロハモミジ
イロハモミジ

大手門
大手門
桜田二重櫓と桔梗濠
桜田二重櫓と桔梗濠

 大手門は、大名や役人が本丸に登下域する際の正門であった。桔梗濠と大手濠とを左右に見て、土手(かっては橋であった)を進んで桝形門型式の大手門渡櫓に入る。
 桜田二重櫓(巽櫓)は、江戸時代には本丸・二の丸の辰巳にも櫓があったことから、それと区別するために 桜田二重櫓と呼ばれていた。一層の千鳥破風に付属する出窓状の張出しが「石落し」で、下部にあけてある長方形の穴は、この下を監視したり、石を落としたり、弓を射るためのものであった。張出し部の両脇の穴は、弓や鉄砲を撃つためのもので、狭間という。

mark行幸通り(みゆきどおり)
行幸通りのイチョウ並木(正面奥が東京駅)
行幸通りのイチョウ並木(正面奥が東京駅)

警視庁騎馬隊
警視庁騎馬隊
警視庁騎馬隊
警視庁騎馬隊

⇒ 皇居周辺 ウォーキングマップ