憲政記念館の展示
(日比谷~赤坂見附)

日比谷駅(東京メトロ日比谷線)~憲政記念館~日枝神社~赤坂見附駅(東京メトロ銀座線)
法務省旧本館
法務省旧本館(国重要文化財)
国会議事堂正面
国会議事堂正面

 法務省旧本館(赤れんが棟)は、ドイツ人建築家ベックマンとエンデ両氏の設計にかかるもので、7年余りの歳月を費やして明治28年(1895)12月、司法省として竣工されたものである。
 国会議事堂は、大正8年(1919)に行なわれた新議事堂設計図の懸賞公募で、一等に当選した渡辺福三の作品をもとに、大蔵省管財局が本設計したものである。翌年から建築に着手したが、大正12年(1923)9月1日の関東大震災で一時中断、昭和11年(1936)11月ようやく竣工した。この年の第70議会はこの議事堂で開会された。耐震・耐火を考慮した外装花崗岩張り、鉄骨・鉄筋コンクリート3階建で、高さ65.45mの吹抜きの中央塔を中心に、むかって左側が衆議院、右側が参議院である。内部は大理石をはじめ木彫・高級布地などによる工芸品を使用する本格的装飾施工になっており、資材および材料はすべて国産品が用いられている。

mark憲政記念館(けんせいきねんかん)
憲政記念館
憲政記念館
憲政記念館
憲政記念館

 わが国の国会開設80周年記念事業として、昭和47年(1972)に設立された。ここには内外の議会政治関係資料が収集され、一般に公開されている。

尾崎行雄銅像
尾崎行雄銅像
誕生地 津久井
誕生地 津久井

 尾崎行雄は安政5年(1858)11月20日に津久井又野村(現、相模原市)に生まれる。上京後は平田塾で国学を学び、後、慶応義塾で洋学を修め、なお工部省工学部で学んだ。文筆生活に入り、藩閥政治の打破と自由民権のために尽くす事を志した。衆議院議員に選出された。以来当選25回、在職63年間、明治・大正・昭和の三代に亘って藩閥官僚とたたかい、軍部の反動の嵐の中で幾多の辛酢をなめながら憲政の発展に身魂を捧げられた。

尾崎メモリアルホール
尾崎メモリアルホール
在職60年の衆議院議員
在職60年の衆議院議員

 記念館内に昭和35年(1960)設立された尾崎メモリアルホールは、第1帝国議会から63年にわたって衆議院に議席をもち、憲政の擁護と発展に尽力し、95歳で浸した尾崎行雄を顕彰記念したものである。

演説中の尾崎
演説中の尾崎
尾崎外遊記
尾崎外遊記

 明治20年(1887)、保安条例によって東京退去を命ぜられた尾崎は、翌年、友人らの助力で旅行費用を集め、約2年間、欧米諸国を訪れた。また、旅行中に書いた見聞記は、現地から朝野新聞に送られ、読者の評判を呼んだ。

森喜朗総理の色紙
森喜朗総理の色紙
小泉純一郎総理の色紙
小泉純一郎総理の色紙
野田佳彦総理の色紙
野田佳彦総理の色紙
安倍晋三総理の色紙
安倍晋三総理の色紙

 1階中央ホールの企画展示「書に映る総理の心 色紙展 第85~97代」では、日本国憲法下の歴代内閣総理大臣、森喜朗総理大臣(第85代)から現在の安倍晋三総理大臣(第97代)まで8名の方の色紙を展示されている。

議場体験コーナー
議場体験コーナー
投票箱・計量器・木札
投票箱・計量器・木札

 内閣総理大臣の演説する映像を議席に座って見ることができる。
 木札は本会議場による記名投票の際、賛成する議員は白い木札(色票)を、反対する議員は緑色の木札(青票)を投じる。

士農工商の装飾彫刻(士)
士農工商の装飾彫刻(士)
士農工商の装飾彫刻(農)
士農工商の装飾彫刻(農)

 新聞記者席手摺の前面にほどこされている。「士農工商」といった江戸時代の国民の階級制度を象徴したもので、士は盾、農は稲、工は機械、商は商業のシンボル「マーキュリー」を描いている。

国会の速記(衆議院)コーナー
国会の速記(衆議院)コーナー
議員党員表示板
議員党員表示板

 表示板は昭和63年(1988)3月まで衆議院玄関で使われていた。党員表示板は、議事堂本館や分館の入り口に設置され、議員は自分の名札を「赤地」から「黒地」にかえして登院したことを示した。

門標
門標
衆議院速記養成所
衆議院速記養成所

 門標は、現議事堂が竣工した昭和11年(1936)11月から昭和44年(1969)に国会外構が改修されるまで揚げられていたものである。

速記符号
速記符号
親時計
親時計

 速記符号は、高速化する話し言葉に対応するため、限られた長さの直線、曲線、円や点を駆使し、書き取る線量を極力減らすなどの改良がなされている。
 親時計は、現議事堂を建築した際、衆議院と貴族院にそれぞれ親子時計が取り付けられた。この時計は、衆議院の各室に設置された150余の子時計と連動しており、昭和60年(1985)10月まで使用されていた。

議事堂の歩み展
議事堂の歩み展
錦絵「国会仮議事堂ノ図
錦絵「国会仮議事堂ノ図

 錦絵は、議会開設前の作品で、新しく建てられる議事堂を想像して絵が描かれたものである。

尾崎行雄肖像(秋山清水画)
尾崎行雄肖像(秋山清水画)
犬養毅肖像(秋山清水画)
犬養毅肖像(秋山清水画)

第一回衆議院議員総選挙一覧
第一回衆議院議員総選挙一覧
立体ビジョンコーナー
立体ビジョンコーナー

 立体ビジョンコーナーは、帝国議会第1次仮議事堂に初登院する議員たちのありさまや、はじめての議会での出来事を立体映像で見ることができる。

日本水準原点標庫
日本水準原点標庫
櫻の井戸(議事堂前公園)
櫻の井戸(議事堂前公園)

 日本水準原点標庫は、日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治24年(1891)5月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。
 議事堂前公園の「櫻の井戸」は、名水井戸として知られた「江戸の名所」で、近江・彦根藩井伊家上屋敷の表門外西側にあったが、ここは加藤清正邸跡で、清正が掘ったと伝えられている。安政7年(1860)3月3日には大老井伊直弼がこの井戸の脇から登城途中、暗殺された。(桜田門外の変)

時計塔
時計塔
永田町一丁目
永田町一丁目

 時計塔は、当時の建築法の限界31.5mの高さになった、3面の文字盤は「三権の分立」を表している。
 永田町の名前が正式に生まれたのは明治5年(1872)のことである。江戸時代、このあたりは一帯は武家地で、馬場のあった道筋に永田姓の旗本屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれていたことが、この町名の由来である。

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