小石川植物園周辺散歩
(白山~茗荷谷)

白山駅(東京メトロ三田線)~小石川植物園~旧東京医学校本館~茗荷谷駅(東京メトロ丸ノ内線)
mark小石川植物園(こいしかわしょくぶつえん)
正門
正門
ソメイヨシノ林
ソメイヨシノ林

 小石川植物園がある旧町名は白山御殿町といい、五代将軍徳川綱吉が将軍になる前の館林藩主時代、その下屋敷があった所で、もと白山神社の跡地だったので白山御殿と呼ばれていた。綱吉没後の正徳3年(1713)に御殿は廃絶されたが、八代将軍徳川吉宗のとき、御殿跡地を薬園添地にあてることになり、広大な園地になったのである。

薬園保存園(名勝・史跡)
薬園保存園(国名勝国史跡)

 小石川植物園の前身は、徳川幕府直轄の小石川御薬園である。寛永15年(1638)三代将軍徳川家光は麻布御薬園を現在の麻布広尾の光林寺の付近に、大塚御薬園を現在の音羽護国寺の位置に開設した。大塚御薬園 廃止され、大部分の薬草は麻布御薬園に移された。その後、貞享元年(1684)麻布御薬園は小石川御殿内に移転した。これが小石川御薬園のはじまりである。貞享6年(1721)吉宗は、ほぼ現在の面積に相当する14万7840㎡に拡張して本格的な薬園として整備し、翌年には小石川養成所を設けた。当時朝廷や幕府に献上した薬草の乾燥場や養成所の井戸など史跡は、現在も残っている。

旧養成所の井戸
旧養成所の井戸
旧養成所の井戸
旧養成所の井戸

 享保7年(1722)、町医者小川笙船の目安箱の意見が採用され、ここに貧民施療のための養生所が設けられることになった。今も園内に養生所専属の 井戸が残っている。養生所は明治初年に廃止になり、大学東校(医学校)管理を経て、明治10年(1877)から東京大学理学部付属の植物実験場となって今日に至っている。

カンザクラ
カンザクラ

カンザクラ
カンザクラ
分類標本園
分類標本園

 植物によって、類縁が近く互いによく似ている場合もあれば、類縁が遠く特徴が大変違っている場合もあるのはそのためである。この分類標本園には、植物の多様性が理解しやすいように、主に東アジアの高等植物約500種を分類体系にしたがって配列している。

ツバキ園
ツバキ園
ツバキ園
ツバキ園

スズカケノキ
スズカケノキ
ユリノキ
ユリノキ

 明治9年(1876)に導入された日本でもっとも古いスズカケノキの一つである。
 ユリノキは、明治の初め頃に植えられた我が国でもっとも古い株の一つで、理学部植物学教室の員外教授として植物園で活躍した伊藤圭介が米国からもらい受け種子を育てたものである。

シマサルスベリ
シマサルスベリ
カリン(中国)
カリン(中国)

旧東京医学校本館
旧東京医学校本館

 日本庭園の奥にある建物はかつての旧東京医学校本館である。
 小石川分館は東京大学に現存する最古の学校教育用建物であり、明治初期の木造疑洋風建築の貴重な歴史遺産である。小石川分館の前身となる旧東京医学校本館は、明治9年(1876)工部省営繕局により本郷キャンパスに建設された。明治10年(1877)には、東京開成高校と東京医学校が合併して東京大学が創設され、それにともない旧本館もまち医学部の中核施設として使われることになった。大学病院再編成にともない、明治44年(1911)に建物の前半部分が赤門脇へ移築された。木造2階建、桟瓦葺の寄模造。正面に欄間付半八角形の玄関と中央塔屋(時計台)があり、明治初期の西洋風木造建築の様式をよく伝えている。

日本庭園
日本庭園
日本庭園とウメ林
日本庭園とウメ林

 将軍綱吉の幼児の居邸であった白山御殿と蜷川能登守の屋敷跡とに残された庭園が往時の姿をとどめる庭園である。

メジロとウメ
メジロとウメ

メジロ
メジロ
メジロ
メジロ

白梅
白梅
紅梅
紅梅

ウメ林
ウメ林

 約50種の園芸品種あわせて100株あまりが集められている。

シダレヤナギと池
シダレヤナギと池
メタセコイア林
メタセコイア林

 メタセコイア属は、第三紀層から出る化石などの結果、三木茂博士により昭和16年(1941)に発表された化石層であった。発表当時は約100万年前に絶滅したものと考えられたが、昭和20年(1945)に中国四川省の奥地でこの属の現生種が発見され、「生きた化石」として世界的に有名になった。

mark旧東京医学校本館(きゅうとうきょういがっこうほんかん)
旧東京医学校本館(常設展示)
旧東京医学校本館(国重要文化財)

 昭和40年(1965)に本郷で解体され、昭和44年(1969)には、理学部付属植物園(小石川植物園)内の現在地へと移築されている。建物は昭和45年(1970)に国の重要文化財に指定され、平成13年(2001)11月から、東京大学総合研究博物館の小石川分館として一般公開されている。

建築模型
建築模型
空間コレクション
空間コレクション

 医学部標本室から管理換された昭和初期の鋼鉄製展示ケースのなかに収められているのは、世界の有名建築の縮体模型である。
 空間コレクションは、法政大学大学院デザイン工学研究科の2015年度の設計授業において学生によって製作された建築模型である。

東京帝国大学大講堂(安田講堂)
東京帝国大学大講堂(安田講堂)
東京帝国大学医科大学法医学教室
東京帝国大学医科大学法医学教室

ハギア・ソフィア(トルコのイスタンブールにある博物館)
ハギア・ソフィア(トルコのイスタンブールにある博物館)

カヌー(台湾/ヤミ族)
カヌー(台湾/ヤミ族)
カヌー(台湾/ヤミ族)
カヌー(台湾/ヤミ族)

ベンチ(パキスタン)
ベンチ(パキスタン)
木造三重塔縮小模型
木造三重塔縮小模型

 三重塔や五重塔といった木造層塔は地震で倒れた事例がほとんどなく、明治未以降、その耐震性能については多くの研究者の関心を寄せてきたものである。本標本は実物の1/10の大きさの三重塔の模型で、耐震性能を解明するための実験に使用したものである。

mark宗慶寺(そうけいじ)
宗慶寺
宗慶寺
極楽の井
極楽の井

 応永22年(1415)浄土宗中興の祖、了誉聖冏がこの地で庵を開いた。その後、徳川家康の生母於大の方が現在の伝通院に葬られ、聖冏の開いた庵を移し「伝通院」とした。元和7年(1621)松平忠輝の母(家康の側室)の墓所となり、法名にちなみ吉水山朝覚院宗慶寺と称するようになった。
 極楽の井は、江戸名所記』に、「小石川吉水の極楽の井は、そのかみ 伝通院の開山 了誉上人よし水の寺に おわせし時に、竜女形をあらわして上人にまみえ奉り、仏法の深き旨を求めしかば、上人はすなわち 弥陀の本願、他力の実義を ねんごろにしめし賜うに その報恩としてこの名水を出して奉りけり」とある。現在の極楽は、小石川パークタワーの手によって現代風に整備されたものである。

mark石川啄木終焉の地碑(いしかわたくぼくしゅうえんのちひ)
石川啄木終焉の地碑
石川啄木終焉の地碑
啄木最後の歌
啄木最後の歌

 この地に石川啄木の住まいがあった。その家で啄木が最後に創作した歌が右の写真の2首である。
 北岩手郡渋民村(現在は盛岡市)を故郷とし、この地でその生涯を閉じた石川啄木。ゆかりの深い文京区と盛岡市では平成19年(2007)より啄木の顕彰等を通じて交流を深めてきた。そして、平成27年(2015)3月、多くの方々のご協力で、この歌碑が誕生した。

⇒ 小石川後楽園周辺 ウォーキングマップ