丸子橋~浅間神社~多摩川台公園
(池上~自由が丘)

週末ウォーキング / 東京23区
池上駅(東急池上線)~丸子橋~浅間神社~多摩川台公園~自由が丘駅(東急田園都市線)
mark丸子橋(まるこばし)
初代丸子橋の親柱(大田区側)
初代丸子橋の親柱(大田区側)
X丸子橋(大田区側)
丸子橋(大田区側)

 初代丸子橋は、昭和9年(1934)に建設された。アーチ型の美しい形状を持つ橋梁で、現在の橋にもその景観イメージが継承されている

丸子の渡し跡(大田区側)
丸子の渡し跡(大田区側)
多摩川と丸子橋(大田区側)
多摩川と丸子橋(大田区側)

 丸子の渡しは、沼部(現田園調布本町)と上丸子(川崎市中原区)とを結ぶ 多摩川の渡しで、古くは「まりこのわたし」ともいった。 渡し守子の「もりこ」がなまって「まりこ」となったともいわれる。
 この付近は、すでに鎌倉時代の文書に「丸子荘」と記載されたり、また文明18年(1486)から19年にかけて、京都から東国方面へ旅行した際の記録である 「廻国雑記」に「東路のまりこの里に行かかり あしもやすめずいそぐ暮れかな」と詠まれた。 中世以来の渡し場と推定される。
 江戸時代になると、中原街道が整備され、物資の搬入等に利用され、昭和9年(1934)丸子橋が完成するまで利用され、江戸東京の玄関口として 大きな役割を果たしていた。(説明版より)

初代丸子橋の親柱(川崎市側)
初代丸子橋の親柱(川崎市側)
丸子の渡し跡(川崎市側)
丸子の渡し跡(川崎市側)

mark多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)
鳥居
鳥居
小御嶽百尊
小御嶽百尊

 多摩川浅間神社は旧下沼部村の村社で、祭神は木花咲姫命、旧別当は東光院。多摩丘陵の南端部を形成する台地にある古墳上に祀られている。

拝殿
拝殿

 文治年間(1185-90)に源頼朝は豊島郡滝野川松崎に出陣、政子は夫の身を案じてこの所まで着いた。彼女の自護本尊は富士吉田の浅間神社である。そこで富士山の遠望できるこの墳丘にのぼり、遙拝して夫の武運を念じ、持仏の聖観世音菩薩像を祀ったのが始まりであると伝える。

龍の口 手水舎
龍の口 手水舎
神楽殿
神楽殿

武蔵小杉駅前の高層タワーマンション
武蔵小杉駅前の高層タワーマンション

東横線・目黒線の多摩川鉄橋
東横線・目黒線の多摩川鉄橋

 展望台からの見晴らしも良く、丹沢山系の奥に富士山も見える

mark多摩川台公園(たまがわだいこうえん)
四季の野草園
四季の野草園
水生植物園
水生植物園

 昔、多摩川の水をくみあげて、地域の飲み水を供給していた「調布浄水場」の跡地を利用して整備した公園になっている。

亀甲山古墳(国史跡)
亀甲山古墳(国史跡)
展望広場
展望広場

 亀甲山古墳は、東京の前方後円墳の中で最も形がよく残っている。全長約100m・後円部直径約60m・高さ9mの規模で、5世紀前半の築造といわれ、武蔵国造の墓と推定する説もある。

第1号墳
第1号墳
第1~8号の古墳が続く
第1~8号の古墳が続く

 多摩川古墳群は、八基からなる古墳時代後期の古墳群である。古墳群の南側には亀甲山古墳、北側には宝莱山古墳の二基の大型前方後円墳が築造されている。

宝莱山古墳入口
宝莱山古墳入口
宝莱山古墳
宝莱山古墳

 標高37.5m付近に築造された全長約97mの前方後円墳で、4世紀に築かれたこの地域最古のものである。後円部に粘土槨らしい存在が認められ、彷製獣帯鏡、硬玉製勾玉、碧玉製紡錘車、同管玉、ガラス玉などが出土している。

⇒ 多摩川台公園周辺 ウォーキングマップ

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left right 自由が丘駅(九品仏)へ