日本橋界隈 歴史散歩
(茅場町~馬喰町)

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mark箱崎町(はこざきちょう)
霊岸橋
霊岸橋
日本橋水門(霊岸橋より)
日本橋水門(霊岸橋より)

 日本橋水門は、日本橋川とその分流である亀島川の分岐点に設置されている。

高尾稲荷神社
高尾稲荷神社
日本銀行創業の地
日本銀行創業の地

 高尾稲荷の縁起は、江戸時代、この地は徳川家の船手組持場であったが、宝永年間(1708)の元旦に、下役の神谷喜平次という人が見廻り中、川岸に首級が漂流しているのを見つけ手厚く埋葬した。
 明治15年(1882)10月10日、日本銀行はこの地で開業し、明治29年(1896)4月日本橋石町の現在地に移転した。

豊海橋
豊海橋
日本橋川(豊海橋より)
日本橋川(豊海橋より)

 豊海橋は、日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁で、江戸時代、この辺りは新堀河岸と呼ばれた。

永代橋
永代橋(国重要文化財)
隅田川大橋
隅田川大橋

 永代橋は、上野寛永寺の根本中堂建設残材をもって、関東郡代伊奈氏が、元禄11年(1689)、はじめて架橋、永代島にかけられたので永代橋というすぼらしい橋名がつけられた。一説には、架橋日が五代将軍徳川綱吉50歳の祝賀日であったので、永代橋と命名したという。優美な虹型の橋であり、ここより富士山の眺めがよいので、広重など錦絵にたくさん画かれている。

箱崎公園
箱崎公園
吉田松陰像
吉田松陰像

 現在の水天宮ピットの場所が、旧東京市箱崎尋常小学校として使われていた昭和12年(1937)の末、当時6年生の児童であった岩井光子さんが病気で亡くなった。光子さんは成績優秀なうえ、特に吉田松陰の生き方に深く感銘を受けており、亡くなる前に自分の貯金で、学校内に吉田松陰の銅像を立ててくれるよう両親に遺言を残した。(説明版の抜粋)

mark蛎殻町(かきがらちょう)
水天宮 社殿
水天宮 社殿

 江戸時代の水天宮は、久留米藩主有馬氏の上屋敷(現在の港区赤羽橋)にあった水難除災の神で、毎月5日、庶民に解放して参詣を許していた。明治維新で上地(官有地)になったので、明治5年(1872)旧藩邸のこの地に移された。
 平成28年(2016)、江戸鎮座200年記念事業として社殿の建替が行なわれた。

本殿
本殿
宝生辨財天
宝生辨財天

 久留米藩九代藩主有馬頼徳公が、加賀藩十一代藩主前田斉広公と宝生流能楽の技を競われた際辨財天に願をかけ、見事に勝利を収めたと言われている。

子宝いぬ
子宝いぬ
安産子育河童
安産子育河童

 安産と水難除け、水商売にご利益があるとして、庶民の信仰を集めた。このことから、人形町は 水天宮の門前町として発展した。

mark浜町(はまちょう)
浜町公園
浜町公園
清正公寺
清正公寺

 かつて熊本藩主細川家の中屋敷のあった所で、公園内の清正公寺(日蓮宗)は細川氏が前藩主の加藤清正を祀ったものである。このあたり一帯は、大名・旗本の屋敷地であったが、明治維新で土地となった。もともと隅田川河畔の地だったので、その跡に料亭が多く建ち、絃歌さんざめく情緒の深い所であった。

新大橋
新大橋
両国大橋
両国大橋

 新大橋は、元禄6年(1693)、白子屋伊右衛門の請負により52日間で完成し、同年12月に渡りぞめがあり、新大橋と命名されたという。

明治座
明治座
明治座稲荷神社
明治座稲荷神社

 明治座は、明治6年(1873)に開場した喜昇座が前身でたびたび名称が変わり、明治26年(1893)初代市川左団次の出資で、明治座と改称した。二代目市川左団次一座や新派劇の拠点として、演劇史上に果たした役割は大きい。

mark小伝馬町(こでんまちょう)
十思公園
十思公園
吉田松陰先生終焉の地
吉田松陰先生終焉の地

 十思公園のあたりは伝馬町牢屋敷跡(都旧跡)である。この牢屋敷は未決囚の収容所で、江戸時代を通じて数十万人の大牢者があったといわれている。未決囚は町奉行所の白州で判決をいいわたされ、磔は鈴ケ森(品川)と小塚原(荒川区)の刑場で、斬首はこの牢屋敷で行なわれた。
 吉田松陰は、安政の大獄に連座して伝馬町獄に入牢となった。処刑の時の近づいたのを知って「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂」と刻んだ辞世の歌碑がある。

石町時の鐘
石町時の鐘
杵屋勝三郎代々の碑
杵屋勝三郎代々の碑

 江戸で最初の時の鐘は、石町の時の鐘であるといわれている。江戸市民に時刻を知らせた時の鐘は、市街地の拡大にともない、浅草寺・本所横川・上野寛永寺芝増上寺・市谷亀岡八幡宮・目白不動・赤坂・新宿天龍寺などにも設けられた。

大安楽寺
大安楽寺
延命地蔵尊
延命地蔵尊

 大安楽寺(真言宗)境内には、刑者をとむらう延命地蔵が祀られている。幕末の安政の大獄に連座した吉田松陰ら多くの志士が収容され獄死した。

身延別院
身延別院
油かけ大黒天神
油かけ大黒天神

 身延別院の「木像日蓮上人坐像」は、当初日蓮宗総本山の身延山久遠寺の宝蔵に安置されていたが、明治16年(1883)に身延別院が創建される際、祖師像として迎えられた。

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