赤坂界隈 歴史散歩
(溜池山王~麻布十番)

週末ウォーキング / 東京散歩 / 港区散歩

散歩コース

溜池山王駅(地下鉄銀座線)~赤坂氷川神社~檜町公園~毛利庭園~麻布十番駅(都営大江戸線)

mark勝海舟・坂本龍馬の師弟像
勝海舟・坂本龍馬の師弟像
勝海舟・坂本龍馬の師弟像
勝海舟・坂本龍馬の師弟像
勝海舟・坂本龍馬の師弟像

 勝海舟は、最初赤坂へ来たのは福吉町の黒田邸内にいた永井青涯に蘭学を学ぶためだったといわれる。37歳のとき元氷川坂下の東南角に転居し、ここにいた間に、成臨丸艦長としてアメリカへ渡航し、坂本龍馬に出会い、幕府の長州征伐失敗の収拾に働き、江戸無血開城の談判に成功した。

mark赤坂氷川神社(あかさかひかわじんじゃ)
赤坂氷川神社
赤坂氷川神社

 境内は元禄のころ赤穂事件を起こした浅野内匠頭夫人瑤泉院の実家浅野土佐守の屋敷があったと言われ、旧臣大石内蔵助が復仇の志を持ちながら引きとられていた未亡人へは、秘密保持のため明かすことができず、苦衷のうちに今生の別れを告げに行った。

大イチョウ
大イチョウ
包丁塚
包丁塚

 大イチョウは、氷川神社の記録をはじめ記載された資料はないが、神社が現在の地に建立された享保15年(1730)には、すでに100年を超える樹齢を有していたこととなり、それ以前からこの地で育成していたと考えられる。都区内巨木の第三位とされるイチョウです。

東参道石段前 狛犬
東参道石段前 狛犬
東参道石段前 狛犬
東参道石段前 狛犬

二の鳥居
二の鳥居
門外の石灯篭
門外の石灯篭

 門外の石灯篭は、遷座の年に岡崎藩四代藩主水野忠之が奉納したものである。水野忠之は八代将軍徳川吉宗が行った享保の改革の前半を主導した老中です。

桜門
桜門

社殿
社殿

 「徳川吉宗が建立させた。元来、赤坂紀州邸の産土神氷川神社は、当時古呂故が岡にあった。紀州家当主から将軍に就任した吉宗は、社を現在地に移し、社殿を享保15年(1730)に建立した。木造銅板葺きで本殿は一間社流造、拝殿は三間四面の朱漆塗で、華美な彫刻や組物をつけず、享保の治といわれた質朴な政策気風を反映した。東京十社の一つである。」()

四合稲荷神社
四合稲荷神社
西行稲荷神社
西行稲荷神社

 古呂故稲荷神社は、古呂故天神社境内、氷川旧社地(氷川神社御旅所)に祀られていた稲荷神社です。
 西行稲荷神社の勧請の由来は、年代不詳(享保年間ともいう)、田町五丁目に西行五兵衛と異名をもつ男あり、榎坂を通行中、甲冑を帯し弓箭を携え、狐の形をしている三寸程の鉄像をひろいといったが、稲荷の御神体らしいと云うので、これを勧請し、五兵衛の異名を以って、西行稲荷と唱えられた。

mark檜町公園(ひのきちょうこうえん)
長州藩毛利家中屋敷跡(檜町公園)
檜町公園(公園・庭園)

 江戸時代の長州藩毛利家中屋敷(松平大膳大夫邸)で、その庭は「清水園」と呼ばれ、 当時の名園の一つで邸内に檜の木立が多かったことから「檜屋敷」と呼ばれていた。

檜町公園内の池
檜町公園内の池
カルガモ
カルガモ

檜町公園内の池
檜町公園内の池

東京ミッドタウン・タワー
東京ミッドタウン・タワー
東京ミッドタウン・タワー
東京ミッドタウン・タワー

 平成19年(2007)に開業した東京ミッドタウンは、ホテル、文化施設、商業店舗、オフィス、住居、病院、公園などが集約された複合施設である。

mark六本木交差点(ろっぽんぎこうさてん)
六本木交差点
六本木交差点
「奏でる乙女」像
「奏でる乙女」像

 「奏でる乙女」像は、本郷新(北海道出身の彫刻家)の作で六本木の区画整理記念に建てられた。

mark毛利庭園(もうりていえん)
毛利庭園
毛利庭園(公園・庭園)

 平成10年(1998)に地区市街地再開発組合が設立され、平成12年(2000)4月に再開発事業の着工し、平成15年(2003)4月に「六本木ヒルズ」がオープンし、現在の「毛利庭園」として誕生した。

毛利甲斐守邸跡
毛利甲斐守邸跡
毛利庭園
毛利庭園

 毛利甲斐守邸跡は、吉良邸討入りに加わった元赤穂浪士四十七士のうち十人が預けられた長府藩三代藩主毛利綱元の長府藩毛利家上屋敷の一部である。

ひょうたん池
ひょうたん池

東京タワーの眺め
東京タワーの眺め

 六本木ヒルズ側からは、東京タワーの眺望が美しい。

テレビ朝日本社
テレビ朝日本社
六本木ヒルズアリーナ
六本木ヒルズアリーナ

六本木ヒルズ
六本木ヒルズ
六本木けやき坂通り
六本木けやき坂通り

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