多摩川台公園・亀甲山古墳~九品仏
(池上~用賀)

池上駅(東急池上線)~多摩川台公園・亀甲山古墳~九品仏~用賀駅(東急田園都市線))
mark多摩川台公園(たまがわだいこうえん)
多摩川のながめ
多摩川のながめ

 多摩川は、山梨県塩山市地先の笠取山に源を発し、東京都の西南部を流下して東京都と神奈川の境を、大田区羽田地先で東京湾に注いでいる。多摩川台公園からのながめは、「多摩川八景」と呼ばれる名所である。

多摩川台公園
多摩川台公園
亀甲山古墳
亀甲山古墳(国史跡)

 亀甲山古墳(かめのこやまこふん)は、東京の前方後円墳の中で最も形がよく残っている。全長約100m・後円部直径約60m・高さ9mの規模で、5世紀前半の築造といわれ、武蔵国造の墓と推定する説もある。ここから北にむかって尾根道を歩くと、九つの円墳がほぼ一線に並んでいる。さらに多摩川台公園の北には、宝来山古墳が残っている。

mark九品仏浄真寺(くほんぶつじょうしんじ)
閻魔堂
閻魔堂
東門
東門

山門(仁王門) 彫刻
山門(仁王門) 彫刻
鐘楼
鐘楼

阿形像
阿形像
吽形像
吽形像

 山門(仁王門)は、寛政5年(1793)建立の銅板葺楼門で「紫雲楼」と称し、楼上に阿弥陀如来、二十五菩薩、風・雷神像を安置する。「紫雲楼」の扁額は、増上寺大僧正敬誉典海の筆になる。この楼上に安置してある阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられて、三仏堂へと足を運ぶことになる。すなわち紫雲の門より内は荘厳の浄土(彼岸)であることを示している。
 山門の側に 鐘楼があり、梵鐘は、宝永5年(1793)世田谷領深沢の谷岡又左衛門尉庸重が父母の菩提のため寄進し、神田鍛冶町の河合兵部卿藤原周徳の作で、九品の仏像を鋳出した朝鮮鐘である。播州尾上の道隆寺の鐘をまねたものという。堂屋も棒造りで欄間には十二支が彫刻してあり、北に子、商に午というように、おのおのその方角を示している。

仏足石
仏足石
内庭
内庭

 仏足石は大聖釈尊の御入滅後、仏陀礼拝の形式として、その御足に対して、接足作礼により人々は哀心慕情の誠を示した。御入滅後およそ600年、仏像が創まり、それが広範におこなわれるまでの永い年月、仏足石礼拝は重く用いられたのである。

本堂(竜護殿)
本堂(竜護殿)

 当山はひろく「 九品仏」の名で親しまれているが、正式には「九品山唯在念仏院浄真寺」といい、浄土宗に属し、境内約12万㎡は往古の面影を保存する都内有数の風致地区である。開山は江戸時代初期の高僧「珂碩上人」で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年(1678)に、奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である観無量寿教の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建された。
 本尊に珂碩上人御自作の釈迦牟尼如来を安置し、当山第二世珂億上人代、元禄11年(1698)三仏堂ともども上棟した。世に珂億造りと称せられ、雄大荘重なる葺ぶきの大殿である。近時、往昔の面影そのままの銅板に大修築を完成した。
 本堂はまた「龍護殿」ともいわれ、浄土(彼岸)を表象する三仏堂に対比し、西面して穢土(此岸)をあらわす。

⇒ 九品仏周辺 ウォーキングマップ