皇居東御苑(東京駅・大手門・諏訪の茶屋)
(東京)

東京駅(JR山手線)~皇居東御苑~東京駅(JR山手線)
mark東京駅(とうきょうえき)
丸の内駅舎
丸の内駅舎
(国重要文化財)

 丸の内駅舎は明治39年(1906)12月15日、日本建築学会の大御所、辰野金吾工学博士と葛飾万司工学士により設計が着手され、同41年3月基礎工事を開始、大正3年(1914)12月14日、6年半の歳月と280万円の経費、延73万にのぼる人達の手により完成した。

南ドームレリーフ
南ドームレリーフ
KITTEガーデンより
KITTEガーデンより

 平成24年(2012)、丸の内駅舎は創建当時の姿に復原された。戦災で失われた3階部分の外壁を復原するため、戦後2階部分に移されていたイオニア式の柱頭を当初の3階部分に移設した。また、花崗岩の柱頭飾りや、銅の高欄部分はモックアップを用いてディテールや施行方法を検証し、創建当時の意匠を復原された。

2012.9.22 TOKYO STATION VISION
2012.9.22 TOKYO STATION VISION
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mark皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)
大手門渡櫓
大手門渡櫓
百人番所
百人番所

 大手門は、大名や役人が本丸に登下域する際の正門であった。大名と、50歳以上で特に許された役人以外は、門外の濠端に立っている下馬札の所で駕篭を降り、徒歩で入域した。
 百人番所は、江戸城の検問所で若年寄支配の鉄砲百人組が警備していた。二の丸庭園の位置に二の丸御殿と小堀遠州の作庭になる池泉庭園が完成された。しかし、三代将軍徳川家光は気に入らず、新たに世嗣竹千代(四代将軍徳川家綱)の居所として、本丸御殿に準じた規模の御殿と庭園につくりかえさせた。

諏訪の茶屋
諏訪の茶屋

 皇居東地区に位置する皇居東御苑は、江戸城の中心であった 本丸二の丸と三の丸の一部の約21万m3にあたり、新宮殿の造営と並行して整備・造園され、昭和43年(1968)から一般に公開された。諏訪の茶屋は、明治時代に吹上御苑に建てられ、ご休所として使われていた茶屋を移築したものである。

2014.4.2 皇居・千鳥ヶ淵の桜(大手門・東御苑・乾門)
2014.4.2 皇居・千鳥ヶ淵の桜(大手門・東御苑・乾門)
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江戸城跡(天守台)
江戸城跡(天守台)
(国特別史跡)
都道府県の木(宮崎県のフェニックス)
都道府県の木(宮崎県のフェニックス)

 江戸城跡は、現在皇居となっているが、そこにあるのは天守台だけで、壮麗な天守の姿はない。それは戦災で焼失してしまったのではない。実は260年余り続いた徳川幕府で、江戸城に天守が存在したのは初めの50年ほどに過ぎないのだ。ところが、その短期間に天守は3度も建てかえられた。
 二の丸庭園から梅林坂へ向かう途中に「都道府県の木」の石碑があり、この場所に全国都道府県で指定されている木々が植えられている。

本丸跡
本丸跡

キモッコウバラ
キモッコウバラ
ナニワイバラ
ナニワイバラ

バラ
バラ
松之大廊下跡
松之大廊下跡

 松之大廊下跡は、元禄14年(1701)3月14日、勅使饗応役浅野内匠頭長矩が江戸城松之大廊下で吉良上野介義央に刃傷におよび、即日一関藩主田村右京太夫の屋敷で切腹を命ぜられた。四十七義士墓所大石内蔵助良雄の銅像、首洗井、義士館などが品川の泉岳寺に残っている。

2009.4.4 皇居 桜めぐり
2009.4.4 皇居 桜めぐり
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⇒ 皇居周辺 ウォーキングマップ