靖国神社~北の丸公園~日比谷公園
(九段下~四ッ谷)

九段下駅(東京メトロ半蔵門線)~靖国神社~北の丸公園~平川橋~皇居外苑~桜田門~日比谷公園~四ッ谷駅(JR中央線)
mark靖国神社(やすくにじんじゃ)
第一鳥居(大鳥居)
第一鳥居(大鳥居)

 大正10年(1921)、日本一の大鳥居として建てられ、「空をつくよな大鳥居」と歌われもしたが、風雨による損傷の為に昭和18年(1943)に撤去され、その後、昭和49年(1974)に銅鳥居として再建された。

大村益次郎像
大村益次郎像
説明板
説明板

 明治26年(1893)の設立で、上野の山にたてこもる彰義隊征伐(上野戦争)に際して、江戸城から指揮する雄姿と伝えられている。大村益次郎は長州出身で、維新政府兵部大輔であった明治2年9月4日、軍制の近代化に反する神代直人らに大阪で襲われて負傷し、11月5日死亡した。

第二鳥居
第二鳥居
菊のご紋章が輝く神門
菊のご紋章が輝く神門

 神門は昭和9年(1934)に完成したひのき造りの立派な御門で、扉の両方には直形1.5mもある菊のご紋章が輝いている。

拝殿
拝殿
白鳩
白鳩

 明治2年(1869)、明治維新政府が幕末から戊辰戦争にかけての犠牲者や戦没者を慰霊するために、招魂社を九段坂上の火除地三番丁原に設けたのに始まり、明治12年(1879)靖国神社と改称された。大平洋戦争の終戦まで、国事に倒れた犠牲者・戦没者の英霊を祀ってきた神社であったが、昭和20年(1945)12月、連合国軍総指令部の神道と国家の分離令によって国家の祭祀は廃止され現在は宗教法人として運営されている。
 白鳩は、平和の象徴である白鳩を神苑に放ち、御祭神をお慰めすると共に、その鳩の美しい姿を通じ次の世代を担う若い人々の心に、平和の尊さと「みたま」に対する尊敬の念を育ませることを目的とする。

能楽堂
能楽堂
桜

 明治14年(1881)に東京・芝公園に建てられたもので、明治36年(1903)に 靖国神社に奉納、移築された。この舞台では神霊を慰めるための能や日本舞踊などの芸能が行われている。

靖国会館
靖国会館
戦歿馬慰霊像と遊就館
戦歿馬慰霊像と遊就館

 遊就館は明治維新当時からの御祭神の遺品、各戦役、事変の記念品、その他古今の武器類を集めて、これを陳列し、御祭神の奉慰と遺徳を欽仰するため明治15年(1882)、建設開館した。

母の像
母の像
桜

 苦難と孤独に耐えながら子供を育て上げた戦争未亡人への敬意と感謝を込めて、昭和49年(1974)に建てられた。立派に成長した子供(遺児)たちが奉納したもので、「お母さん、ありがとう」の気持ちの表れである。

品川弥二郎像
品川弥二郎像
田安門と桜
田安門と桜

 靖国神社から九段坂上に出て、田安門交差点を千鳥ヶ淵側にわたると、道路わきに九段坂公園がある。ここに品川弥二郎像がある。品川弥二郎は長州出身の政治家で、第1次松方内閣の内務大臣となり、民党制圧のために大規模な選挙干渉を指揮して辞任した。

mark北の丸公園(きたのまるこうえん)
旧江戸城田安門(田安門)
旧江戸城田安門(国重要文化財)
旧江戸城田安門(櫓門)
旧江戸城田安門(櫓門)

 田安門は北の丸の北端部に位置し、江戸五口の一つで、上州道の起点となっていたことから、古くは飯田町口、または代官町御門と呼ばれていた。このあたりは、家康の入国以前は田安台といい、民家や田畑があり、田安大明神の社(現在、牛込にある筑土八幡社)もあった。田安門の由来はここからきている。

牛ケ淵
牛ケ淵

北の丸公園
北の丸公園
平川橋
平川橋

 昭和44年(1969)、北の丸は、昭和天皇の還暦を記念して北の丸公園として一般に解放され、現在に至っている。
 平川橋は擬宝珠勾欄の木橋は、江戸時代の面影を伝えている。なお10個の擬宝珠は城内の各所の橋から集められたもので、「慶長拾九(1614)年甲寅八月吉日御大工 椎名伊与」の刻銘があるのは、西の丸下乗橋(現在の皇居正門前の鉄橋)にあったものといわれている。この刻銘は江戸城最古の金石文でもある。

mark皇居外苑(こうきょがいえん)
皇居正門・石橋前
皇居正門・石橋前

 一般には 皇居前広場として親しまれている。江戸時代には西の丸下と呼ばれ、江戸城の巽(東南)を防備する拠点の郭として、日比谷入江を埋め立てて築造された。 馬場先門跡から西にすすむと、皇居で最も美しい景観の一つとされる 皇居正門・鉄橋(二重橋)前に至る。皇居前広場の北西に坂下門がある。江戸時代は西の丸下から西の丸への裏門として使われていた。現在では門内右手奥の宮内庁の通用門として使用されている。

黒松林
黒松林

桜田門(櫓門)
桜田門(櫓門)

桜田門
桜田門(国重要文化財)
説明板
説明板

 桜田門(かっての外桜田門)。天正18年(1590)、徳川家康の関東入国当時は小田原口(門)と呼ばれ、柵戸仕立ての門があった。寛永13年(1636)西の丸下の造成にともなって現在の桝形門の形式で築造された。古来以来この付近一帯を桜田郷といっていたことから、三の丸の桜田門(現在の桔橋門)に対して外桜田門と名づけられた。現在の門は、寛文3年(1663)に再建され、関東大震災後に修理されたもので、現在自由に出入りできる数少ない旧江戸城門の一つである。

mark日比谷公園(ひびやこうえん)
日比谷公園
日比谷公園

 明治36年(1903)に開園されたドイツ式庭園である。かっての長州藩毛利家上屋敷・佐賀藩鍋島家の上屋敷の跡で、明治初年の火災で焼失したのち、陸軍練兵場になっていた。園内には、昭和36年(1961)完成の大噴水をはじめ、花壇も整備され、大小の野外音楽堂・公園資料館・日比谷画廊などもあって、都心部の貴重な憩いの場所となっている。

日比谷松本楼
日比谷松本楼
日比谷公会堂
日比谷公会堂

 公園南よりの日比谷公会堂は、昭和4年(1929)に安田財閥の創始者てある安田善次郎の寄付によってできたもので、クラシック音楽の演奏会場や演説会場として利用されている。

⇒ 九段下周辺 ウォーキングマップ