素盞雄神社~千住大橋~旧日光街道
(三ノ輪~北千住)

三ノ輪駅(地下鉄日比谷線)~素盞雄神社~千住大橋~橋戸稲荷神社~千住宿歴史プチテラス~北千住駅(地下鉄日比谷線)
mark素盞雄神社(すさのおじんじゃ)
素盞雄神社
素盞雄神社

 創建は延暦15年(795)と伝えられる荊石信仰(石神信仰)の神社で、境内には瑞光石なるものがある。また、元禄2年(1689)3月27日松尾芭蕉が「奥の細道」への門出にあたり、千住で別れを惜しんだことを記念して、文政3年(1820)に建立された矢立初の碑が残されている。

大銀杏と絵馬
大銀杏と絵馬
説明板
説明板

 大銀杏は、『江戸名所図会』にも描かれており、幹の周囲約3.3m、高さ30mである。この木の皮を煎じて飲むと、乳の出が良くなるという伝承を持つことから、絵馬を奉納祈願する習わしがあり、現在も続いている。

mark千住大橋(せんじゅおおはし)
現在の千住大橋
現在の千住大橋

 文禄3年(1594)に普請奉行伊奈忠次(1550~1610)によってかけられたもので、隅田川にかかる橋の中で最も古いものである。千住大橋をわたった所で、国道4号線は左にやや曲がって北上するが、それと分かれてほぼ平行している道が旧日光・奥州道中である。
 千住の宿は、寛永2年(1625)に日光・奥州道中の初宿と定められ、明暦年間(1655~57)に宿場の体裁が整えられた。千住の宿は、一般には隅田川北岸の八ケ町をいうが、隅田川南岸の小塚原町・中村町までを含んでいた。

奥の細道矢立初の碑
奥の細道矢立初の碑
橋戸稲荷神社
橋戸稲荷神社

 松尾芭蕉が、元禄2年(1689)3月27日「千じゆと云所にて船をあがり」おくのはそ道の旅に出たことは著名なことである。古来南岸(南千住側)上陸か北岸上陸か論争のあるところであるが、ここではそれにふれず、とにかく千住を通って旅立ったことは確かなので、あえて「矢立初」の碑としたものである。碑石は高さ1.5m、幅1.9、厚さ0.9mの龍岩で薄茶色の自然石に、黒御影石を表、裏にはめこんだものである。表には「ほそ道」の抜粋、裏には解説文が刻まれている。
 橋戸稲荷神社は、大橋公園の少し西に橋戸稲荷神社がある。土蔵造の観音開きの扉の裏側に、幕末から明治にかけての鏝絵(しっくい塗りの絵)の名工といわれた伊豆長人(1815~89)男狐と母子狐の作品が残されている(毎年91月5日の祭例時に公開)。江戸市中の社寺に多くみられた鏝絵は、関東大震災と戦災でそのほとんどが失われており、江戸時代の伝統技術を伝える貴重な資料である。

千住宿歴史プチテラス
千住宿歴史プチテラス
ギャラリー展示
ギャラリー展示

 江戸時代末期に建設された土蔵が解体、移築され、使用料無料のギャラリー「千住宿歴史プチテラス」。場所は足立区千住河原町。同地区は江戸時代の”やっちゃ場”(野菜市場)の名残で、奥行きの長い屋根が目立つだけに、地元では「昔ながらの街並みにマッチする。区内外の人が利用できるスペースに」と胸をふくらませている。(河原町のかわら版より)
 ギャラリー展示を拝見。館内ではご年配の方から展示品(大正初期の”やっちゃ場”の写真など)の説明を聞かせて貰いました。

江戸時代の街並みが描かれている
江戸時代の街並みが描かれている
旧日光街道 千住宿付近
旧日光街道 千住宿付近

 旧日光街道は、奥州道中・日光道中は、日本橋の北で常盤橋門からくる道(現在では一部が日本銀行の敷地内)をとって右にすすみ、浅草橋をわたり、隅田川沿いに北上し、浅草を過ぎて千住宿に至る。旧日光街道は常盤線・千代田線の北千住駅の西、現在の日光街道(国道4号線)の東側を平行して北上する道である。

⇒ 千住周辺 ウォーキングマップ