鈴ヶ森刑場跡~大森貝塚遺跡庭園~池上本門寺
(品川~池上)

品川駅(JR山手線)~旧東海道~鈴ヶ森刑場跡~大森貝塚遺跡庭園~池上本門寺~池上駅(東急池上線)
mark鈴ヶ森刑場跡(すずがもりけいじょうあと)
鈴ケ森刑場跡
鈴ヶ森刑場跡
案内板
案内板

 日光街道の小塚原とともに江戸時代のお仕置場であった。元禄8年(1695)の記録によると、間口40間(約72m)、奥行8間(約14m)の広さがあったという。江戸時代の刑罰は厳しく、10両以上盗めば死刑であった。単なる死罰は伝馬町の獄で執行されたが、獄門の場合は獄内で打ち首ののち、鈴ヶ森・小塚原に首を3日間さらした(さらし首)。磔・火刑(火あぶり)の場合は、江戸市中引き回しのうえ、鈴ヶ森・小塚原で執行した。

mark大森貝塚遺跡庭園(おおもりかいづかいせきていえん)(品川区)
大森貝塚遺跡庭園
大森貝塚遺跡庭園
大森貝塚から発掘された貝層
大森貝塚から発掘された貝層(国史跡)

 庭園内には、大森貝塚の碑(品川区)がある。昭和4年(1929)毎日新聞社長本山彦一や考古学者小金井良精らが立てたものである。明治10(1877)アメリカから来日した動物学者モース博士が、新橋・横浜間の車窓から発見・発掘した地点はどこかと問題にされていたが、現在でも、碑の周辺に縄文時代の貝殻が散らばっている品川区のほうであるという説が有力である。貝塚の中には縄文時代の品川人のくらしをとく鍵が、いっぱいつまっている。海の生物の骨や陸の生物の骨、鳥の骨などが出土している。

モース博士像
モース博士像
大森貝塚の碑
大森貝塚の碑(大田区)

 アメリカの動物学者。標本採集に来日し、請われて東京大学のお雇い教授を2年勤め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した。 大森貝塚を発掘した。日本に初めて、ダーウィンの進化論を体系的に紹介した。
 大森駅山王北口を出て右に行くと、ほどなくNTTデータ通信局があり、その敷地の線路際に 大森貝塚の碑(大田区)がある。モースのもとで当時発掘に参加した佐々木忠次郎をはじめ、21名の著名な学者が発起人となって、昭和5年(1930)に建立されたものである。

mark池上本門寺(いけがみほんもんじ)
境内
境内

大堂(祖師堂)
大堂(祖師堂)

 日蓮宗大本山本門寺である。本門寺の歴史は鎌倉時代に始まる。法華宗に帰依した番匠(大工)の棟梁、郷土池上宗仲が屋敷を寄進して寺院を建立した。これを喜んだ日蓮上人が、建治2年(1276)本門寺と命名したのが起源と伝えている。

力道山の墓
力道山の墓
力道山
力道山

 力道山は大相撲の力士出身。第二次世界大戦終了後に日本のプロレス界の礎を築き、日本プロレス界の父と呼ばれている。当時始まったテレビ放送の力もあり絶大な人気を誇ったが、裏社会との繋がりも根深く、最期は暴力団構成員に喧嘩をしかけ腹部を刺されて死亡した。

⇒ 大森周辺 ウォーキングマップ
⇒ 池上周辺 ウォーキングマップ