歴史の道・徳本峠越え
(明神から島々へ)

(山行記録)
登山日:1968.8.24(昭和43年)
メンバー:3名
・1日目:上高地~岳沢テント設営
・2日目:BC~奥明神沢~明神岳~前穂高岳~BC
・3日目:雨で停滞
・4日目:テント撤収~明神~徳本峠(徳本峠小屋)~岩魚留小屋~島々

mark奥明神沢のガラ場を登る
 8月下旬の天候は不安定な日が多く、初日から雨に悩まされいた。
 2日目、計画を変更して岳沢テントから奥明神沢のガラ場に入る。1時間ほどは普段の登りであったが、急斜面になるにつれてガラ場の登りに神経を使うようになる。自分の足を乗せた石が崩れ落ちる状態が続き、あまり楽しい登りではなかった。(本来は登るルートではない)
 本日の目標である明神岳主峰へは、ガラ場を登りきった稜線から、5分程の岩登りで頂上に上がる。ここから前穂高岳へは1時間程度で辿り着いた。

早朝の大正池
早朝の大正池
上高地帝国ホテル
上高地帝国ホテル

mark徳本峠越えの思い
 全長16kmもある長くて辛い道だが、我々メンバーの誰かは毎年挑戦している人気ルートであり、自分も一度は歩いて見たいと考えていた。

mark明神で「犬」に追われる
 4日目の朝、後輩と2人(3日目にリーダー下山)で岳沢のテントを早々に撤収して上高地へ下りる。いつもは、ここから松本バスに乗り名古屋へ帰るところを、今回は明神方面に向って歩く。
 明神館の付近で、突然、近くにいた犬に吠えられる。どうも、我々が身に付けていた「犬の尻当て」が気に食わなかったらしく、こんな妙な光景がしばらくの間続いた。

明神橋と明神岳
明神橋と明神岳

明神館
明神館

mark徳本峠越え
 島々宿から徳本峠へ登る道は、槍・穂高登山史上の重要なアプローチルートであった。明治24年に英国人ウォルター・ウエストンが島々谷を遡って徳本峠から梓の谷に下り、槍・穂高連峰に挑戦した歴史ある道。徳本峠から稜線沿いに霞沢岳へ登る道は、近年、徳本峠小屋の人々によって整備され、かっては上高地から八右衛門沢を登る以外にルートがなかった霞沢岳も、手軽に登れる山として注目されるようになった。

mark昔の面影が残る徳本峠
 明神から徳本峠までの登りは2時間程である。峠が近くなるにつれて、展望も開け前穂高や明神岳が目前に迫る。
 峠には、徳本峠小屋の1軒とちょっとした広場があるだけ。しかし、「島々から長時間かけて歩いていた昔の人達は、ここで初めて穂高を見て感激!」と思わせる峠である。
 小屋の近くで、いつもの様にバーナーとコッフェルを取出し、のんびりと昼食をとった。

mark5時間歩いた後、二人ともダウン!
 徳本峠から島々の町まで、途中、岩魚留小屋(名前の通り、小さな渓流には何匹もの岩魚が木箱に生け捕りにされていた)での小休止以外は、5時間ほどずーと歩き通した。
 朝7時に岳沢を出発してから、この島々に着いたのが午后5時過ぎ。残り30分で島々の駅に行ける所まで来て、2人ともキスリングを担いだまま、道端で完全にダウンする。幸い、通りかかった車に駅まで乗せてもらい、夜行にならず名古屋に帰ることができた。

徳本峠入口(島々)
徳本峠入口(島々)
 島々谷川
島々谷川

週末ウォーキング