岩登りが楽しい剣岳・八ツ峰
(雷鳥沢から剣沢へ)

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 (山行記録)
登山日:1970.8.28(昭和45年)
メンバー:8名
行程記録
 ・1日目:室堂〜雷鳥沢〜別山乗越(剣御前小屋)〜剣沢テント設営
 ・2日目:(八ツ峰ルート)BC〜長次郎谷出合〜3・4峰ルンゼ〜4峰〜八ツ峰〜剣岳〜前剣〜BC
      (一般道ルート)BC〜一服剣〜前剣〜剣岳〜BC
 ・3日目:テント撤収〜別山〜真砂岳〜雄山〜内蔵助分岐〜雷鳥平テント設営
 ・4日目:テント撤収〜みくりが池〜室堂

雷鳥沢から剣沢へ
 名古屋発の夜行電車で朝5時過ぎに立山駅到着し、ここからケーブルカーとバスに乗り継いで室堂に着いたのが7時頃であった。雷鳥沢から別山乗越までの登りは1時間半程度だが、重いキスリングを背負っていたので結構辛いものがあった。
 剣沢小屋近くにテントを張り、昼食後剣沢の雪渓まで下りて見る。夏の雪渓だけに黒ずんでいたが、雪渓の周囲には高山植物の美しい花が咲いている所もあった。

残雪の剣岳
残雪の剣岳

剣岳(2998m)
 北アルプス南部の盟主・穂高連峰と同じように、いかにも日本アルプスの名にふさわしい岩峰で飛騨系閃緑岩や斑糲岩が氷雪で削り出された氷食冠帽である。登山史としての初登頂は1909年、吉田孫四郎パーティにより長次郎谷から行われているが、その2年前に、すでに陸地測量部の柴崎芳太郎たちが測量のために登頂している。

取付き箇所を間違えた!
 翌日、剣岳へは2班(各々4名)に分かれて行動した。我々八ツ峰を目指すメンバーは午前3時にテントを出発し、暗闇の中ラテを照らしながら剣沢の雪渓を下りた。
 1時間ほどで長次郎谷出合を確認し、やや急な長次郎谷雪渓を登り始める。雪渓からルンゼへの登りは、安全の為夜が明けるのを待っていた。山での夜明け前風景は、真っ暗闇から空が徐々に紺碧色に変わり、そして山肌の輪郭も美しく映える時間帯である。雪渓から注意深く岩に取付き登り始め、しばらくすると予定した1・2峰のルンゼでない事に気が着く。

落ち着きを戻す
 今山行のリーダーをしていた自分は、登り箇所を間違えた事で一瞬ショックを受ける。ただ、ところどころの岩にはハーケンの打った跡が残っており、人が結構入っているのが感じられた。そして焦った気持ちも、我々の力量でも十分登れるという自信に切り替えることができた。
 ザイルを数回使用して無事に4峰の頂きへ登り、ここで小休止を取る。真っ青な一点のくもりもない空、素晴らしい眺めであった。これより登る剣岳頂上では、誰か手をしきりに振っているのがよく見えた。(一般道ルートから剣岳に登っていた別メンバーだった)

八ツ峰を楽しむ
 4峰の下りは三ノ窓側への懸垂下降で注意を払い、5峰の下りでもザイルを使って5・6峰コルに出た。6峰への登りは多少長いが、6峰からの上部、剣岳頂上までは快適な登りが出来た。
 午後1時、剣岳頂上に上がる。剣沢のテントを出発してから10時間の長い行程であった。しばらくの間、頂上での素晴らしい展望を楽しんだ。

鹿島槍ヶ岳
八ツ峰から鹿島槍ヶ岳を望む
剣沢・別山を望む(八ツ峰より)
剣沢・別山を望む(八ツ峰より)

晴天に恵まれた、でも疲れた!
 3日目は剣沢のテントを撤収して、立山三山を登り雷鳥沢への下りコースである。途中、内蔵助分岐点で全員のキスリングを置いて、雄山までを往復する。サブリック一つの身軽さだけに、皆ハイキングなみの足取りである。
 3日間とも好天気に恵まれ、予定したコースを全部消化できた事は嬉しかったが、雷鳥沢へ着いた時には心身ともに疲れ切っていた。

剣沢小屋近くで
剣沢小屋近くで
雷鳥平
雷鳥平

立山(3015m)
 ふつう立山と呼ぶ場合、雄山神社を祭る雄山か、浄土山、雄山、別山を含めた立山三山を指す。開山は大宝元年(701)で越中介佐伯有頼(慈興上人)が鷹狩りの折り、手負いのクマを追って奥山に入り岩屋追い込んだが、中に入ると阿弥陀如来と不動明王に化身し「立山開山」を命じたとか。

岩登りが楽しい剣岳・八ツ峰(雷鳥沢から剣沢へ)