初登山の槍ヶ岳
(上高地から槍沢へ)

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 (山行記録)
登山日:1966.5(昭和41年)
メンバー:5名
行程記録
 ・1日目:上高地〜明神〜徳沢〜横尾〜槍沢小屋
 ・2日目:槍沢小屋〜槍沢〜槍ヶ岳〜南岳〜大キレット〜横尾本谷〜横尾岩小屋

 ・3日目:横尾岩小屋〜横尾〜上高地

先輩に誘われて
 山登りの厳しさを全く知らない私が、先輩の「一度山登りをして見ないか?」の一言で、いきなり3000m級の北アルプスに挑戦する事になった。
 名古屋発の夜行バスに乗り、木曽福島駅からは松本電鉄の小型バスに乗り換える。後部座席に乗っていた為、デコボコ道では体が飛び跳ねる始末で、上高地までの3時間ほどは寝ていける状態ではなかった。

上高地
上高地
西糸屋山荘
西糸屋山荘

全員「キジ打ち」?
 西糸屋山荘で簡単な朝食をとり、30kg以上ある重いキスリグを担ぎ、明神方面にゆっくり歩き始める。
 上高地から20分ほど歩いた辺りで、先輩達はいきなりキスリグを降ろし、各自バラバラの方向へ隠れてしまった。その時は何が起きたのか分らない。しかし10分もしたら皆すっきりした顔で戻ってきたので、すぐに事の真相が理解出来た。山登りとは、まず「キジ打ち」ありきと覚える。

素泊まり400円でも高い?
 横尾からの登り道では残雪があり、急に歩き方のマズさが目立ち登山靴が滑り、槍沢小屋に着いた頃には随分疲れきっていた。
 今回はテントを用意していないので、当然この槍沢小屋に泊まるものだと思っていたが、小屋の宿泊値段を聞きに行ったメンバーの「素泊まりで400円も取られるぞ!」の言葉で、小屋の近くで簡単なビバーグする事に決定する。お金にも厳しいのが山登りかと思った。

「明けの明星」に、感激!
 槍沢小屋を出発した時は真っ暗闇、初めて身に付けたアイゼンとピッケルを手に持ち槍沢の雪渓を登り始める。
 しばらくすると、東の空から少しづつ明るくなってきて、西岳の稜線上に輝く金星を見つた。その光景の美しさは、都会では味わうことが出来ない幻想的なものであった。

槍沢上部で滑落、ショックを受ける
 槍沢の雪渓の登りは長くて、とても辛い。唯一の救いは、紺碧の空に伸びる槍の美しい穂先が段々と大きく見える点であった。
 殺生ヒュッテの手前を過ぎ、急斜面のトラバースを繰り返しながら、もう少しで槍岳山荘(肩の小屋)に着く辺りで不注意に転んでしまった。ただ、昨日の特訓(槍沢小屋近くで、夕食前の1時間ほど、転び方、止め方を先輩から教えてもらっていた)の甲斐があって、1〜2mほど滑っただけで止める事ができた。(1つ間違っていたら、大雪渓を何百mは滑ってしまうほどの危険な状態であった)
 最後の登りで、ちょっとした気の弛みが起こした事故であったと反省する。

展望360度の槍ヶ岳山頂展望
 次ぎの難関は肩の小屋から大槍への登りであった。途中の鉄梯子では、股の間から槍沢の大雪渓が真下に見え、全身が固まってしまう様な恐怖感があった。そんな私の姿を見て、先輩は直ぐにザイルを結んでくれた。
 槍ケ岳山頂の360度の見晴らしは最高であったが、先ほどの恐怖感が残っていて、あまりいい気分にはならなかった。ただ槍ヶ岳山頂の立札を持って、写真を撮ってもらった事を今でもはっきりと覚えている。


北穂高岳より槍ケ岳を望む

槍ケ岳(3180m)
 鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、いかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ケ岳は北アルプス南部の鎮めである。登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。

体力の限界
 槍岳山荘に戻り、再び重いキスリングを担いで中岳・南岳への縦走路を歩く。そして、南岳から大キレットへ下る危険な鎖場が続くと、次第に体力と精神的な疲れがひどくなった。そんな私の状態を先輩達は察して、大キレットの鞍部で北穂高への登りを断念してくれた。

そして、山の厳しさから開放される
 大キレットの鞍部から雪深い横尾本谷へ下降することになるが、最初の一歩がとても怖い感じがした。そして数時間かかって無事に横尾岩小屋に着く。屏風岩が正面に見え所で、5〜6人は裕に寝ることができる広さがある。
 夜になって、焚き火を囲みながら先輩達との話しが進むにつれて、やっと山の厳しさから解放された。

初登山の槍ヶ岳(上高地から槍沢へ)