散歩コース
大正池(焼岳)~田代湿原・田代池~田代橋~ウエストン碑~上高地帝国ホテル~山岳遭難記念碑~河童橋~明神~明神池~梓川右岸散歩路~岳沢湿原~河童橋大正池は、大正4年(1915)の焼岳の大噴火の際に生じた火山泥流が梓川をせきとめてつくられた。水面に映る穂高の山々と池の中に林立する枯れ木は、上高地を代表する景観の一つである。
昭和の初期以来、発電用の貯水池として利用されているが、焼岳の斜面や、梓川の上流から流れ込む土砂によって池はずいぶん小さくなり、枯れ木も倒れて残りわずかになっている。
大正池湖畔から眺める朝靄と穂高岳、梓川の岸辺では黄金色したカラマツ林の黄葉が美しい。
山頂からわずかに白い蒸気を見せる鐘状火山(トロイデ)である。最近の噴火は昭和37年(1962)で、今度は泥流で大正池を埋め、浅い幅広の川のように変えてしまった。
大正池湖畔で、朝早く焼岳を写生を楽しんでいる人がいた。
秋には、焼岳の美しい黄葉が見られる。
朝靄の田代湿原の光景は神秘的である。
池の正面に見えるのは、六百山や霞沢岳といった山々で、こうした山々に降った雨は、砂磯層を通る伏流水となり、田代池に湧き出している。
池底には、枯れた水草などが少しずつ積もり、また、大雨によって大量の土砂が流れ込んだ結果、大正4年(1915)に最深5mあまりあった池の大部分は湿原化している。
【穂高連峰】
正面の谷が岳沢で、その奥の平らな頂点が標高日本第3位の奥穂高岳で、左側に西穂高岳、右側に前穂高岳、明神岳が連なっている。これらの稜線は堅くて節理の発達した火山岩からなるため、激しい浸食作用に耐えてとがった峰や断崖絶壁をつくっている。火山岩は約175万年前に噴火していたカルデラ火山の中に堆積したもので、その主体は高温状態で火山灰が固まった凝灰岩からできている。」(※)
大正池から河童橋まで、約3.5km、70分コース。河童橋から明神まで、約3km、60分コース。
英人牧師ウオルター・ウエストンは、明治21年(1888)から同28年(1895)までの日本滞在中に槍ヶ岳や穂高の山々を数多く歩き、我が国に近代的登山意識をもたらし、日本山岳会結成のきっかけを作りました。また、その間の紀行文「日本アルプスの登山と探検(明治29年)」により、中部山岳を世界に紹介するなど、その業績は高く評価されている。
昭和8年(1933)、日本初の本格的な山岳リゾートホテルとして誕生した上高地帝国ホテル。
帝国ホテル前の山側へ、クマザサをかき分け50mほど上がると、人知れず場所に穂高岳で遭難して亡くなった登山者の記念碑が多く(90碑ほど)建てられている。昭和43年(1968)7月の時に、上高地は国立公園である為、今までの墓を「記念碑」として残す事に決定された。従って、この年の7月以降に、穂高岳での遭難者は松本まで下り火葬されているので、新たに記念碑が建つことはない。
昭和43年(1968)5月初旬、同級生である親友二人が5月の残雪の穂高岳に初挑戦した。その2日の朝、Mくん(当時23歳)が天狗のコルから奥穂高岳へ向かう途中、雪の稜線で滑落し帰らぬ人となった。そして、この「山岳遭難記念碑」の中に、通称「郡長」と呼ばれたMくんの記念碑がある。上高地に入った時には、いつも忘れずMくんの記念碑を訪れている。
碧い空と 涌き立つ雲と 岩稜と 岳人の心 これにあらむ
北アルプスで遭難し、亡くなられた方々を慰霊するために昭和37年(1962)に建てられた。毎年7月1日には、北アルプス南部地区山岳遭難対策協会主催による慰霊祭が行われる。
【上高地】
穂高連峰・焼岳・六百山・長塀山などの高山にとりかこまれた盆地で、その中心を明神池・田代池・大正池をつらねられて梓川が流れる。山頂部は、高山植物の種類に富み、山腹は、針葉樹・落葉広葉樹の天然林におおわれ、渓流ぞいには、ケショウヤナギが群生する等美しい景観をみせている。湖沼地帯には、水生植物・湿原植物の群落が発生し、マガモなど多くの鳥類が繁殖する。この地域は、また、わが国有数の高山蝶の生息地である。」(※)
河童橋左岸のたもと、絶景のロケーションにある五千尺ホテル。
上高地のシンボル・河童橋のたもとに息づくホテル白樺荘。
河童橋からほど近く、雄大な穂高連峰を間近に望む旅の宿。
【奥穂高岳】
奥穂高岳は、穂高連峰の中央にそびえる盟主である。標高3190mは富士山の3776m、南アルプスの北岳の3192mに次ぐ日本第3位の高峰で、頂上に造られた2mを超す大ケルンの上に立つと第2位になろうかという高峰なのである。しかも堂々と大きい山容がいい。山頂で緯線が分岐し、南西に延びる岩稜は馬ノ背からジャンダルムの奇峰を経て、間ノ岳、西穂高岳、娩岳へと延びる。もう1つの岩稜は南東へ吊尾根となってたわみ、前穂高岳、明神岳となって上高地に雪崩落ちていく。」(※)
晩春から初夏にかけ、白または、白くて部分的にピンクの花を咲かせる。
自然に関する展示や映像の上映、自然観察界などを通して、上高地の自然への理解と自然に親しむために必要な情報の提供をしている。
シラビソやコメツガの原生林におおわれた六百山に降った雨は、地地下水となってこの川に湧き出します。全長200mほどしかないこの川は、大雨にも濁ることなく、日照りにも枯れることがないため、上高地の貴重な飲料水源となっている。水中に多い水草はバイカモで、きれいな水にだけ育つ植物で、夏にウメに似た白い花を咲かせる。
穂高岳の朝焼けを一番美しく見ることができる明神館。
由来は、太古奥穂高岳に天降ったと伝えられる穂高見神は、海神綿津見神の御子神で、海神の宗族として遠く北九州に栄え信濃の開発に功を樹てた安曇族の祖神として奉斎され、日本アルプスの総鎮守として明神池畔に鎮座する。
上条嘉門次はウオルター・ウエストン氏の山案内をした事により、山岳ガイドとして名を駈せた。ウエストン氏が、日本の山を世界に紹介させた著書「極東の遊歩道」・「日本アルプスの登山と探検」には嘉門次の事も書かれている。
上条嘉門次が、明治13年(1880)に建てた山小屋。小屋の囲炉裏に、ウエストン氏から「長い友情の記念に」と贈られたピッケルを、嘉門次が愛用した猟銃と共に展示されている。
明神池は、鏡池、神池ともいわれ、明神岳の直下にして、一の池・二の池からなり、奇石奇樹の島影は神秘ただよい、10月8日神池に浮かぶ龍頭鷁首の御船は碧潭に映えて美しく平安朝の昔を偲ばせる。
昭和45年(1971)の正月、西穂高独標まで登山した時のモノクロ写真。
散歩コース
大正池(焼岳)~田代湿原・田代池~田代橋~ウエストン碑~上高地帝国ホテル~山岳遭難記念碑~河童橋~明神~明神池~梓川右岸散歩路~岳沢湿原~河童橋