薬草や花木の横浜市こども植物園
(戸塚~鶴ヶ峰)

戸塚駅(JR東海道本線)~旧東海道~下永谷市民の森~こども植物園・児童遊園地~境木地蔵尊~権太坂~鶴ヶ峰駅(相鉄本線)
mark旧東海道(きゅうとうかいどう)

 JR戸塚駅から旧東海道を約10分歩くと柏尾川(吉田大橋)に着く。ここは、東海道五十三次の景勝地と言われた名所。橋の上から、矢部団地をバックに写真を撮る。この吉田大橋は、江戸時代には長さ8間(約14m)の大きな木橋だった。歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵」で、「気も戸塚はと吉田橋」と謡われる吉田橋は、歌川広重が「東海道五十三次」の「戸塚」で描いた場所でもある。
 戸塚ダイエーのバス停近くで「東海道戸塚宿見付跡」がある。

柏尾川(吉田大橋より)
柏尾川(吉田大橋より)
東海道戸塚宿見付跡
東海道戸塚宿見付跡

 戸塚宿(現在の横浜市戸塚区)は日本橋から5番目の宿場で、伝馬制が敷かれた慶長6年(1601)の3年後に伝馬宿に定められた。江戸寄りに権太坂、京寄りには大坂(都市の大坂ではない)という難所があったうえに、保土ヶ谷区~藤沢間の距離が長く、物資の運搬などに多くの支障が出るため、土地の有力者・澤辺宗三が代表となって幕府に訴願し、新たに宿場として設置が認められたのだった。

mark下永谷市民の森(しもながやしみんのもり)

 ブリヂストン前の舞岡入口の交差点を右折して、下永谷市民の森に向って歩く。この辺りに「鎌倉街道(中ノ道)の下永谷市民の森付近」(古道50選)が残っている。下永谷市民の森には地元の農家が梅や栗を作っている畑があったりして、のどかな感じがする公園であった。JR戸塚駅から丁度1時間歩いたので、公園内にある見晴台のベンチでしばらくの間休憩をとる。

下永谷市民の森
下永谷市民の森
見晴台
見晴台

 ここから、東海道(国道1号線)の平戸へ向って歩き、交差点横にある白旗神社を拝見する。

白旗神社
白旗神社
ケヤキ
ケヤキ

 白旗神社は、源頼朝公薨じて百三年後の乾元元年(1302)9月9日、鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請したもの。境内入口には、名木古木指定の立派な「ケヤキ」がある。

markこども植物園・児童遊園地(こどもしょくぶつえん・じどうゆうえんち)

 こども植物園は、特にバラが見事で80品種260株が花の時期に咲き競う。また、市民園芸講座やガーデニング講座、市民花苗交換会などがあり、薬草や花木を楽しむことが出来る。

リュウノウギク
リュウノウギク
カンゾウ
カンゾウ

 薬草園は、人間は昔から飢えや病気、ケガとの戦いでした。くすりの発見は人々がまだ草や木、そして、それらの実を食べていた時代に、食べられるもの・毒のあるものが経験でわり、ちょつとしたきっかけで見つかったもの。

「衣紋」の柿(盆柿、滋賀県)
「衣紋」の柿(盆柿、滋賀県)
花木園
花木園

 くだもの園は、くだものとは、一般に多汁で甘味のある木や草の実のよびかたです。狩猟時代から、野生のくだものは大切な食料でした。植物を栽培することを知った人間は、定住生活にうつるとともに、おいしい実のなる木を家のまわりに植えたこと。
 花木園は、花や実、枝、葉などが美しい木を、ひろい意味で花木とよんでいる。花木は、私たちの心をなごませ、四季のおとずれをつたえ、季節とともにある夢や思い出をあたえてくれる。

児童遊園地
児童遊園地
釣り池
釣り池

 児童遊園地は樹木が生い茂る中に散歩道や運動広場、釣り池、子供の遊具施設があり、自然あふれる公園である。入口から釣り池に向う道では、白や紅色のコスモスが咲き、園内を散歩をしている人の目を楽しませてくれた。

mark境木地蔵尊(さかいぎじぞう)

 児童遊園地から境木地蔵尊までは、権太坂住宅の中を通り約15分で着く。ただ、境木地蔵尊前の道は車の交通量が多く、注意が必要である。

境木地蔵尊
境木地蔵尊
お地蔵さん
お地蔵さん

 武相国境沿いの東海道の、権太坂(武蔵国)と焼餅坂・品濃坂(相模国)の頂点に良応院植木地蔵がある。武蔵と相模の境いにあたるこの場所は、はるか鎌倉のほうまで見渡せる風光絶佳の地であったと『江戸名所図会』にも記されている。地蔵堂は万治2年(1659)に創建されたが、地蔵はいつごろのものかは不明である。
 「お地蔵さんの逸話」は、鎌倉の海岸に漂着した地蔵が、地元の漁師の夢枕に出て「江戸へ運んでくれたらこの海を守ろう」と告げたので、漁師たちが苦労しながら江戸へ運んでいると、この境木で動かなくなった。そこで村人が地蔵を引き取ることになり、お堂を建てて安置したところ、村が栄えたという。

mark権太坂(ごんたざか)
権太坂
権太坂
権太坂陸橋
権太坂陸橋

 東海道五十三次にも描かれている権太坂は箱根の山につぐ難所で、行き倒れになる旅人も多かったという。その名の由来は、旅のお侍が急な坂道の途中で汗を拭いていると、年老いた農夫が坂道を下ってきたので坂の名を尋ねた。ところが耳の遠い老人は自分の名を聞かれたと思い、「へえ、権太といいますだ」と答えて坂を下りていった・・・いつしか、この坂が権太坂と呼ばれるようになった。
 ここから藤塚町、市沢町を通って相鉄線の鶴ヶ峰駅までは、随分長い道程だった。

⇒ 戸塚周辺 ウォーキングマップ