横浜歴史探訪(馬車道・日本大通り周辺)
(関内)

関内駅(JR京浜東北線)~吉田橋関門跡~馬車道通り~旧横浜正金銀行本店本館~日本郵船歴史博物館~横浜税関~横浜市開港記念会館~神奈川県庁~横浜港郵便局~横浜開港資料館~関内駅(JR京浜東北線)
mark吉田橋関門跡(よしだばしかんもんあと)
吉田橋関門跡
吉田橋関門跡
「鉄の橋」の説明
「鉄の橋」の説明

 安政6年(1859)6月2日、横浜開港となって交易場、貿易港として栄えるにいたがい、幕府は、開港場の施設の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、伊勢山下から都橋付近まで入江であったことから木橋を架け、その後、本橋が吉田新田から架橋されたことにより、「吉田橋」と呼ばれた。

mark馬車道通り(ばしゃみちどおり)
近代街路樹発祥の地
近代街路樹発祥の地
太陽の母子像
太陽の母子像

英国国会議事堂のガス灯
英国国会議事堂のガス灯
ガス灯
ガス灯

 テムズ川のほとりにそびえる高さ96mの時計塔ビッグ・ベンがシンボルとして立つことで有名な英国国会議事堂は、正式名称をウエストミンスター宮殿といい、1065年エドワード国王によって建設された。当時の建物は1834年の火災で焼失したが、1852年に国会議事堂として再建、ビッグ・ベンもその時に建てられた。このガス灯は、この建物の北西部に立つガス灯と同じものである。

相生本店
相生本店
馬車道通り
馬車道通り

 吉田橋から神奈川県立歴史博物館に向かう通りを馬車道(古道50選)という。現在はガス灯が設置され、近代街路樹やアイスクリーム・写真など、「日本最初」に関する碑も設置されている。この通りは文字どおり馬車のとおる道として、居留地の外国人の要求により、慶応3年(1867)3月つくられた。馬車は開港直後にわが国にはいり、外国人専用の乗物であったが、1867年秋には茶や絹などの貿易を行っていたコブ商会によって乗合馬車として営業化された。

写真師・下岡蓮杖顕彰碑
写真師・下岡蓮杖顕彰碑
日本興亜 馬車道ビル
日本興亜 馬車道ビル

mark神奈川県立歴史博物館(かながわけんりつれきしはくぶつかん)
国指定重要文化財
国指定重要文化財
旧横浜正金銀行本店本館
旧横浜正金銀行本店本館

 旧横浜正金銀行本店本館は、安政6年の開港以来、外国商人が主導していた貿易金融取引を改善するため、明治13年(1880)2月28日に設立された。その後政府の保護を受けて外国貿易関係業務を専門的に担当する銀行として成長し、大正8年には世界3為替銀行の一つに数えられるようになった。

神奈川県立歴史博物館
県立歴史博物館(国重要文化財)(国史跡)
牛馬飲水
牛馬飲水

 ドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建造物である。昭和42年(1967)3月20日に神奈川県立歴史博物館として開館した。

mark日本郵船歴史博物館(にっぽんゆうせんれきしはくぶつかん)
2009.7.11 横浜歴史探訪youtube

 横浜税関の正面玄関に面した海岸通り(古道50選)を桜木町方面に戻ると、日本郵船歴史博物館がある。館内には、海運の歴史と進歩を物語る多数の実物資料や船の模型が展示されている。博物館のある横浜郵船ビルは、列柱が印象的な建物で。貿易港横浜を象徴する建物の一つである。

mark横浜税関(よこはまぜいかん)
横浜税関
横浜税関
クイーンの塔(横浜税関)
クイーンの塔(横浜税関)

 幕末期、幕府は神奈川奉行所を開設し、その一機関として神奈川運上所を現在の神奈川県庁本庁舎があるところに設置した。庁舎は多様な文化が流れ込む貿易港を意識して、世界各地の様式を取り入れ昭和6年(1931)に竣工したもので、第二次世界大戦後、マッカーサーがはじめて連合国最高司令官総司令部(GHQ)を設置した建物である。

mark横浜市開港記念会館(よこはましかいこうきねんかいかん)
横浜市開港記念会館
横浜市開港記念会館(国重要文化財)

 開港50周年を記念して、大正3年(1914)9月に着工され、大正6年7月1日の開港記念日に「開港記念横浜会館」として開館した。建物は、大正12年(1923)の関東大震災によって一部が焼失したため、昭和2年(1927)と平成元年(1989)に復旧工事が行われ創建時の姿に復元された。

横浜市開港記念会館
横浜市開港記念会館

 建物の外壁は、腰石まで花崗岩積みで、1・2階は赤い化粧煉瓦と白い花崗岩を積み上げた辰野式フリークラシックスタイルで、古典主義を自由にあれんじしている。東南隅には高塔(ジャックの塔)がが建っている。

ジャックの塔(横浜市開港記念会館)
ジャックの塔(横浜市開港記念会館)
横浜町会所跡
横浜町会所跡

 この地に、明治7年(1874)4月に竣工した石造2階建て屋上に高塔のある建物は、横浜市制施行の明治22年(1889)まで横浜の町政を執った町会所である。

横浜商工会議所発祥の地
横浜商工会議所発祥の地
岡倉天心生誕之地の碑
岡倉天心生誕之地の碑

 横浜商工会議所は外国商を相手とする横浜商人の結束と自立をはかるために、明治13年(1880)にこの町会所で発足した。発足当時は横浜商法会議所といったが、昭和3年(1928)に横浜商工会議所と変更した。開港場は日本大通りをはさんで東側が旧居留地にあたり外国人商館が多く立地し、通りの西側は日本人商人の町であった。この地は明治期より日本人商人の結束のための組織がおかれ、横浜商人の力を外国商人に示す建物がたでられ、日本大通り西側の日本人の町の精神的な中心地であった。
 横浜商工会議所発祥の地の碑の隣に、明治期に美術界の基礎を築いた岡倉天心の生誕地を示す岡倉天心生誕之地の碑がある。開港当時、この地にはもと福井藩士であった岡倉勘右衛門が藩命によって生糸貿易を営んでいた石川屋があった。天心は勘右衛門の次男としてここで生まれ、7歳のころよりアメリカ人宣教師ジョン・バラから英語を学び、9歳のときに高島嘉右衛門が開設した高島学校にかよった。

mark神奈川県庁本庁舎(かながわけんちょうほんちょうしゃ)
神奈川県庁
神奈川県庁
キングの塔(神奈川県庁)
キングの塔(神奈川県庁)

 震災復興建築として昭和3年(1928)に竣工した。設計競技によって基本設計が行われ、海からみえる塔があることなどが要件とされていた。堂々した「キングの塔」(高さ49m)をもつなど、昭和前期の時代の雰囲気を伝える帝冠様式の走りとされ、他県の公共建物にあたえた影響は大きい。その敷地の南角には神奈川運上所跡の石碑がある。

神奈川運上所跡
神奈川運上所跡
横浜地方裁判所
横浜地方裁判所

 神奈川運上所跡は、開港にともない、関税と外交事務を扱う神奈川運上所が、今の神奈川県庁所在地に設けられ、神奈川奉行の支配に属していた。慶応2年(1866)類焼、翌年新築、横浜役所と称した。明治元年(1868)明治政府に移管され同(1872)横浜税関に改められた。
 終戦の年の昭和20年(1945)12月から、横浜地方裁判所で戦争裁判が開かれる。BC級戦犯を裁いた横浜裁判である。戦争を指導したとするA級戦犯に対し、BC級戦犯は軍人、軍属らが対象。1000人余が起訴された横浜裁判では8割以上が有罪判決を受け、約50人が処刑された。

mark横浜港郵便局(よこはまみなとゆうびんきょく)
郵便は世界を結ぶ
郵便は世界を結ぶ
外国郵便創業の局
外国郵便創業の局

 明治8年(1875)に外国郵便を日本で初めて開始したところとされており、「外国郵便創業の局」の記念碑が建っている。

mark横浜開港資料館(よこはまかいこうしりょうかん)
旧英国総領事館
旧英国総領事館
記念ホール
記念ホール

 開港百年を記念して編さんされた「横浜市史」の収集資料を基礎に、昭和56年(1981)、日米和親条約締結の場において開館した。19世紀半ばから関東大震災にいたる時期を中心に資料の充実に努め、現在、公私の文書記録、新聞雑誌、写真や浮世絵など25万点を越える資料を収集している。

「ペリー提督横浜上陸」の図
「ペリー提督横浜上陸」の図
獅子頭共用栓とブラフ溝
獅子頭共用栓とブラフ溝

 碑上面の「ペリー提督横浜上陸」の図は、アメリカ日本遠征艦隊の随行画家ハイネの原画による石版画を、陶板の上に複製したものである。

玉楠の木
玉楠の木
記念ホール
記念ホール

 中庭の玉楠の木は、大正12年(1923)の関東大震災により、木の幹は焼失しましたが、生き残った根から芽が出て、いまや中庭いっぱいに枝を広げる大木となった。横浜の歴史の生き証人ともいえる玉楠の木は、昭和63年(1988)横浜市地域史跡に指定された。

日米和親条約調印の地の碑
日米和親条約調印の地の碑(開港広場公園)

 嘉永7年(1854)1月、ペリー提督は再び来航し、開国に関する会談が久良岐郡横浜村字駒形(現、横浜開港資料館)に設置された応接所で行われ、3月、日米和親条約12カ条が調印された。

⇒ 山下公園周辺 ウォーキングマップ