三渓園散歩
(本牧三渓園前)

本牧三渓園前バス停(横浜市営バス)~三渓園~本牧三渓園前バス停(横浜市営バス)
mark三渓園(さんけいえん)
三渓園
三渓園(国名勝)(公園50選)(景勝50選)

 三渓園は、明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓(本名富太郎)が、東京湾に面した三之谷と呼ばれる谷あいの地に造りあげた、広さ約175,000㎡の日本庭園です。明治39(1906)年に一般に公開された外苑と、三渓が私庭としていた内苑の2つの庭園からなり、京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物と四季折々の自然とがみごとに調和した景観が見どころとなっている。

鶴翔閣
鶴翔閣
御門
御門

 鶴翔閣は三渓が住まいとして建てた、延床面積950㎡の規模を誇る建築。三渓と交流のあった文化人や政財界人らが多く出入りした場所としても知られています。第2次世界大戦中に改築されましたが、近年の復旧整備により創建当初の姿にもどされました。現在では、さまざまな利用に対応可能な貸出施設として活用されている。
 御門は、京都の西方寺に宝永5年(1708)頃造営され、大正初期に三渓園に移築されたもの。規模の大きい薬医門の遺構として貴重なものである。

白雲邸
白雲邸
白雲邸 談話室
白雲邸 談話室

 白雲邸は、三渓が隠居所として夫人とともに暮らした数寄屋風建築。倉は初期の鉄筋コンクリート造である。

臨春閣玄関
臨春閣玄関
臨春閣
臨春閣

臨春閣
臨春闇
(国重要文化財)

 豊臣秀吉の聚楽第の北殿付近に池に画して建てられ、千利休が設計したと伝えられる。現在わが国にのこる唯一の大名別荘建築であり、屋内の九つの部屋には狩野派の筆による「四季花鳥図・琴棋書画図」などの障壁画が描かれている。

天楽の間 四季山水図 狩野安信筆
天楽の間 四季山水図 狩野安信筆

瓢箪文手水鉢
瓢箪文手水鉢
旧天瑞寺寿塔覆堂
旧天瑞寺寿塔覆堂
(国重要文化財)

 豊臣秀吉が愛用したと伝えられる手水鉢で、後年藤堂高虎に賜り、伊賀上野城にあったもの。
 旧天瑞寺寿塔とは長寿祝って生存中に建てる墓のことである。豊臣秀吉は、その母大政所が大病にかかったとき、その平癒祈願のため京都大徳寺内に天瑞寺を建てた。功験あって平癒したのを喜び、母の長寿を祝って天正20年(1592)石造の寿塔を建てた。この建物はその寿塔の覆堂で、明治38年(1905)三渓園に移築されたものである。迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾、そりあがった屋根は、荘厳さを感じさせる。

亭しゃ
亭しゃ
月華殿
月華殿
(国重要文化財)

 月華殿は徳川家康が慶長8年(1603)京都伏見城内に建て、諸大名伺候の際の控室に当てたものと伝えられる。その後京都修験宗の三室戸寺金蔵院に移され、大正7年(1918)に三渓園に移築された。

天授院
天授院
(国重要文化財)
金毛窟
金毛窟

 天授院は、もと鎌倉心平寺(建長寺塔頭)の地蔵堂といわれている。大正5年(1916)に三渓園に移築され、原家ではこれを持仏堂として使っていた。昭和39年(1964)に解体修理を行い、その際慶安4年(1651)の墨書が発見され、建立の年で明らかになった。
 金毛窟は、原三渓が大正7年(1918)に建てた一畳台目の茶室である。千利休が修造した京都大徳寺三門(金毛閣)の高欄の手すりをこの茶室4の床柱に使っている。扁額は明治の数寄者・三井の益田鈍翁の書である。

聴秋閣
聴秋閣
(国重要文化財)
春草廬
春草廬
(国重要文化財)

 聴秋閣はもと三笠閣と呼ばれ、元和9年(1623)徳川三代将軍徳川家光が上洛に際し、佐久間将監に命じて二条城内につくらさせたものといわれる。その後これを春日局に賜わり、江戸稲葉候邸内に移され、三渓園には大正11年(1922)に移築された。
 春草廬は、もと京都の三室戸寺金蔵院にあった月華殿に附属して建てられていた茶室である。三渓園には大正7年(1918)月華殿と共に移築された。窓が九つあるため九窓亭と呼ばれていた。織田信長の弟・織田有楽斎(うらく)が建てたものと伝えられる。

三溪園茶寮
三溪園茶寮
朝がゆセット
朝がゆセット

 早朝観蓮会は、創設者の原三渓は泥の中から清らかな花を咲かせることから俗世間から現れたすぐれた人材にたとえられる蓮の花が、徳の高い花としてとりわけ愛好した。夏の暑い時期、早期のすがすがしい空気の中で、咲いたばかりの蓮が鑑賞できる。

蓮華院
蓮華院
蓮池
蓮池

 蓮華院は、蓮と縁のある茶室である。東大寺三月堂の不空羂索観音が手にしていた蓮華を飾ってあったことから名づけられた。茶室に入ると目の前の土間には宇治平等院鳳凰堂の古材と伝えられる太い柱があり、脇には塔の石造露盤を置いた石炉としたものがある。

2016.7.16 三渓園(早朝観蓮会)
2016.7.16 三渓園(早朝観蓮会)
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水仙
水仙

春の七草
春の七草
旧燈明寺三重塔
旧燈明寺三重塔
(国重要文化財)

 正面入り口から入ると大池に沿って散歩園路が走り、その水面に影を落とす三渓園のシンボルになっている三重塔は、京都燈明寺から移された茶格的な三重の塔で、室町時代中期の建築とされている。

旧矢箆原家住宅
旧矢箆原家住宅
(国重要文化財)
旧矢箆原家住宅 内部
旧矢箆原家住宅 内部

 飛騨・白川郷にあった建物。園内にある歴史的建造物の中で唯一内部を見学できる建物です(900~1630)。式台玄関や書院造の座敷など農家ながら立派な接客の空間を備え、寺院に用いられる火灯窓がつけられるなど、飛騨の三長者の一人ともいわれた矢箆原家の豪勢ぶりがうかがわれる。現存する合掌造では最大級の民家である。

旧東慶寺仏殿
旧東慶寺仏殿
(国重要文化財)
林洞庵
林洞庵

 室町時代永正6年(1509)直後に再建された鎌倉東慶寺の仏殿。明治40年(1907)三渓園に移築された。東慶寺は弘安8年(1285)北条時宗の妻覚山尼が創建した寺院で駈け寺あるいは縁切寺として有名である。
 林洞庵は、八畳の広間と四畳の小間からなっている。

旧燈明寺本堂
旧燈明寺本堂
(国重要文化財)
十一観音菩薩立像(複製)
十一観音菩薩立像(複製)

 燈明寺は現在廃寺となっているが近年まで京都府相楽郡加茂町に所在した日蓮宗の寺院である。寺伝によりますと聖武天皇の勅願によって天平7年(735)に開創されたといわれている。この建物は、様式上、室町時代初期に建てられたものと推定される。昭和22年(1947)の台風で被害を受けた後解体し保存されていたが、昭和62年(1987)に三渓園に移築された。

2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:遠干潟の一部)
2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:遠干潟の一部)
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2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:坂埼出羽守の一部)
2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:坂埼出羽守の一部)
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2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:柴田勝家の一部)
2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:柴田勝家の一部)
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2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:勧進帳の一部)
2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:勧進帳の一部)
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待春軒
待春軒

 待春軒はもと江戸の豪商河村左衛門が所有ていたもので、栃木県大嶹(おおしま)製糸場内から移された建物。三渓園に移築後、この建物には御やすみ、お茶御随意、待春軒という案内書きがつけられ、初音茶屋と同じ湯茶の接待を行っていたほか、さらに句会・歌会や茶会などの席としても場所を提供していたようである。

大池と三重塔
大池と三重塔
蝋梅
蝋梅

 三渓は、芸術家や文学者などの文化人たちと広く交流したことでも知られ、三渓園は美術・文学・茶の湯など近代日本文化の一端を育んだ場所でもある。学術上・芸術上、そして観賞上優れていることから、平成19(2007)年には国の名勝に指定され、庭園全域も文化財として位置づけられた。

2007.1.27 三渓園(重要文化財10棟)
2007.1.27 三渓園(重要文化財10棟)
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 三渓園は古くから梅の名所としても有名で、特に竜が地を這うような枝ぶりの「臥竜梅(がりょうばい)」や中国・上海市から贈られた、花弁を支える雪の部分が緑色の「緑萼梅(りょくがくばい)」など、珍しい種類を含む約600本が園内を彩る。

⇒ 三渓園周辺 ウォーキングマップ