横浜公園から氷川丸船内見学へ
(関内~山下公園)

関内駅(JR京浜東北線)~横浜公園~日本大通り~氷川丸船内見学~山下公園駅(みなとみらい線)
mark横浜公園(よこはまこうえん)
噴水
噴水

 朝顔形の噴水塔は、岡山産の万成花崗岩でできており、公園から港へと向かう日本大通りの中心軸と重なるように配置されている。現在の噴水塔は、明治時代から数えて三代目にあたる。

噴水
噴水
横浜スタジアム
横浜スタジアム

彼我公園
彼我公園
雪見灯篭
雪見灯篭

 「第33回全国都市緑化よこはまフェア」を記念し、日本庭園の名称を、 彼我(外国人と日本人)の友好と平和が深まるよう「彼我公園」に定めるとともに、横浜の国際交流の歴史と文化をあらわす礎とし、「燈籠の里帰り」の意を込めて設置された。

日本庭園
日本庭園

 横浜公園一帯は、内海であった現在の関内や山下町を埋め立てた太田屋新田の一部で湿地帯であった。開園以前は、安政6年(1859)11月より港崎遊郭があった。なかでも異人揚げ屋であった岩亀楼は有名で、その建物は蜃気楼か竜宮城かといわれて見物人がたえなかったという。

日本庭園
日本庭園
蹲踞と水琴窟
蹲踞と水琴窟

岩亀楼の石燈籠
岩亀楼の石燈籠
ブラントンの胸像
ブラントンの胸像

 石燈籠は横浜妙音寺から、横浜市に寄贈されたもので、石に刻んである「岩亀楼」の文字から、岩亀楼にちなむものであることがわかる。
 明治元年(1868)政府の招聘により来日した英国人土木技師リチャード・ヘンリー・ブラントンは、開国にともない、日本沿岸各地に灯台を建設する一方、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では、日本大通りや横浜公園の設計を行うなど、近代的なまちづくりに大きな足跡をのこした。

mark日本大通り(にほんおおどおり)
日本大通り
日本大通り

 旧外国人居留地と日本人街を区分する街路で、慶応2年(1866)の大火災に防火帯を兼ねて計画・整備された日本における近代街路の発祥地である。沿道には、神奈川県庁本庁舎旧英国総領事館、旧横浜商工奨励館、旧横浜地方裁判所といった歴史的建造物が集積し、横浜でも有数の歴史的景観を形成している。

旧横浜地方裁判所
旧横浜地方裁判所
横浜情報文化センター
横浜情報文化センター

 旧建物は県庁と並ぶ戦前横浜の官庁建築の代表作。左右対称の日の丸形の平面やスクラッチタイルの外壁など、昭和初期における公共建築の典型的に意匠をもつ。
 横浜情報文化センターは旧横浜商工奨励館の建物を利用して増築し、関東大震災後に沈滞していた横浜経済の活性化の拠点として、輸出品のサンプルの展示施設として開設された。

電信創業の地
電信創業の地
電信創業の地
電信創業の地

 明治2年(1869)12月25日、この場所にあった横浜電信局と東京電信局の間に、わが国でははじめて電報の取扱が行われた。

mark氷川丸船内見学(ひかわまるせんないけんがく)
氷川丸
氷川丸(国重要文化財)

 山下公園前には、黒い煙突に赤い2本のラインを描いた日本郵船のファンネル(煙突)マークをもつ氷川丸が係留されている。この船は桜木町駅近くにある横浜船渠で1930年に建造された1万2000t、総全長約163mの客船で、内装の一部はアールデコ様式のフランス製である。戦前の横浜港はサンフランシスコ・シアトルへのアメリカ航路の基点として賑わった。氷川丸は、平安・日枝丸ととにシアトル航路へ就航し、チャップリンを乗船させるなどはなやかな時代をすごした。平成28年(2016)に国重要文化財に指定された。

一等児童室
一等児童室
一等食堂
一等食堂

 一等児童室は、ここには"スチュワーデス"と呼ばれる子どもの世話をする女性乗組員がいて託児も行っていた。
 一等食堂は、ダイニングサロンで、タキシードとイブニングドレスの紳士淑女がディナーを堪能した場所である。

秩父宮両殿下乗船時の特別ディナー
秩父宮両殿下乗船時の特別ディナー
船内
船内

 昭和12年(1937)10月2日秩父宮両殿下の乗船にあたり、船内には、すっぽん、松茸など特別な食材が持ち込まれ、いつも以上に豪華なディナーが用意された。

一等読書室
一等読書室
一等社交室
一等社交室

 一等読書室は読書や手紙を書いて過ごす場である。
 一等社交室はダンスパーティーの会場になるなど女性の社交場としての性格が強く、優雅なアールデコの装飾が施されている。

展示室
展示室
シアトル航路の室
シアトル航路の室

 横浜を出航してシアトルへ向かう船旅の様子を、実物資料とエピソードで紹介してい

一等客室
一等客室
船長室
船長室

操舵室
操舵室
操舵室からの眺め
操舵室からの眺め

 運転士(現在の航海士)が24時間体制で安全航行に努め、操舵した場所である。

⇒ 山下公園周辺 ウォーキングマップ