三条実美

三条実美の墓
護国寺 三条実美の墓(撮影 2011.5.9)

 三条実美は江戸時代後期、幕末から明治の公卿、政治家である。明治政府では太政大臣を務め、征韓論で岩倉具視や大久保利通らと西郷隆盛との板挟みになり、ストレスによる意識障害で政治的判断不能となった。内閣制度が発足すると実美は内大臣となり、政治の第一線から退いた。

旧吉田茂邸
旧吉田茂邸 七賢堂(撮影 2018.11.11)

 明治の元勲伊藤博文が、大磯町の自宅「滄浪閣」の敷地内に明治36年(1903)に建築した9尺四方の大きさのお宮風の木造建物「四賢堂」が始まりである。「四賢堂」は、伊藤博文が日頃から尊敬していた、三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通の4人の写真を堂内に掲げ祀られたため「四賢堂」と呼ばれた。
 伊藤博文没後には伊藤博文の写真が掲げられ「五賢堂」と呼ばれた。
 昭和35年(1960)には吉田茂がこの地に移設し、西園寺公望を合祀し、吉田茂本人も死後に合祀され、現在の「七賢堂」となった。正面の扁額「七賢堂」の文字は、佐藤栄作元首相の揮毫によるものである。

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