徳川頼房(威公)

水戸城跡 徳川頼房公像
水戸城跡 徳川頼房公像(撮影 2012.3.20)

 全国支配をめざした徳川家康は、水戸を東北諸大名に対する防御・牽制の拠点として重視し、慶長7年(1602)に5子武田信吉、慶長8年(1603)に10子徳川頼宣、そして慶長14年(1609)12月には11子徳川頼房を、あいついで水戸城主に封じた。

水戸城跡 薬医門
水戸城跡 薬医門(撮影 2012.3.20)

 水戸藩初代藩主徳川頼房によって、水戸城は3度にわたって大改修が行われ、近代城郭として整えられた。堀の石垣も設ける計画はあったが、技術不足や財政難のため中止となり、そのままとなった。

英勝寺 山門
英勝寺 山門(撮影 2017.6.4)

 お勝の方'(徳川家康の側室)は家康が死去して出家し、法名英勝院長誉清春を名乗り、寛永13年(1636)に英勝寺を建立し、徳川頼房の娘小良姫を玉峯清因と号して開山とした。以後水戸徳川家の姫が代々住持となり、「水戸様の尼寺」と称せられた。寺領420石は建長寺よりも多く、寺でありながら大名屋敷のようであり、水戸家御殿ともいわれた。

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