後藤象二郎

後藤象二郎先生誕生之地
 後藤象二郎先生誕生之地(撮影 2016.1.1)

 後藤象二郎は馬廻格150石の家に生まれ、1歳違いの板垣退助とは竹馬の友であった。幕末の参政吉田東洋は義理の叔父にあたり、東洋の下で学び抜擢され幡多郡奉行などをつとめた。東洋暗殺事件後は一時失脚するが、文久3年(1863)山内容堂が藩政の実権を握るとともに復帰。大監察として土佐勤王党の処断に辣腕をふるった。慶応2年(1866)開成館奉行として長崎に赴き、同地で活発な商業活動を行い、上海にも渡って見聞を広めた。坂本龍馬とも接触し、龍馬の「船中八策」をうけいれて容堂に進言、慶応3年(1867)の大政奉還の立役者となった。維新後は基本的に板垣と行動をともにし、民権運動にもかかわった。

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