大久保利通

肖像画
清水谷公園 大久保利通(撮影 2018.10.25)

 大久保利通は幕末から明治初期の政治家、いわゆる維新の三傑のひとり、明治国家の実質上の建設者として、独裁的な権力をふるった。 薩摩藩下級士族の出身で、西郷隆盛らと尊王撰夷運動に加わったが、藩主島津久光、忠義に登用され、藩論の統一につくし、久光の推進した公武合体運動に奔走した。時勢の急転と流罪されていた西郷の帰国により倒幕路線に転換、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)と京都三傑会合して薩長連合を結んだ。徳川幕府の大政奉還に際し、岩倉具視と画策し、王政復古のクーデターを起して倒幕派による政権を樹立した。維新後、明治政府の参与として木戸孝允とともに版籍奉還、廃藩置県を断行し、中央集権の強化に努めた。この間参議、大蔵卿となり、岩倉大使一行の副使として欧米を巡遊、帰国後西郷、板垣退助ら征韓一派参議と対決して一挙にこれを退け、内務卿として政府内部の実権をにぎった。いっほうでは殖産興業政策を推進して資本主義の土台を築き、外政面では台湾出兵を敢行、内では佐賀の乱をはじめ、一連の不平士族の反乱を鎮圧、西南戦争ではみづから指揮してかつての盟友西郷をたおし、木戸没して彼ひとり権力をほしいままにした。

肖像画
清水谷公園 大久保利通公哀悼碑(撮影 2018.10.25)

 西南戦争の終結後、一部の士族らが大久保の政策に反発し、明治11年(1878)5月14日朝、麹町清水谷において、赤坂仮皇居内の太政官へ出任する途中の馬車を襲い暗殺した。この事件は「紀尾井坂の変」と呼ばれている。
 明治11年(1878)に暗殺された大久保利通をしのんで、明治21年(1888)5月に建立された碑である。

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