吉田茂

旧吉田茂邸
旧吉田茂邸 吉田茂銅像(撮影 2018.11.11)

 戦後日本の憲法・政治・外交・社会体制すべて、吉田内閣の手によって整えられた。特に日本を敗戦占領下からとき払し、日本に独立をもたらしたサンフランシスコ平和条約は、吉田首相が昭和26年(1951)9月に、実らせたものである。

旧吉田茂邸
旧吉田茂邸 楓の間(応接間)(撮影 2018.11.11)

 旧吉田茂邸は戦後の内閣総理大臣を務めた吉田茂が暮らしていた邸宅で、もとは明治17年(1884)に吉田茂の養父・吉田健三が大磯の土地を購入し、その地に別荘を建てたのがはじまりで、養父亡きあと財産の一部として吉田茂が邸宅を引き継いた。昭和20年(1945)より吉田は大磯の邸宅を本邸とし、晩年をこの地で過ごした。

旧吉田茂邸
旧吉田茂邸 七賢堂(撮影 2018.11.11)

 明治の元勲伊藤博文が、大磯町の自宅「滄浪閣」の敷地内に明治36年(1903)に建築した9尺四方の大きさのお宮風の木造建物「四賢堂」が始まりである。「四賢堂」は、伊藤博文が日頃から尊敬していた、三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通の4人の写真を堂内に掲げ祀られたため「四賢堂」と呼ばれた。
 伊藤博文没後には伊藤博文の写真が掲げられ「五賢堂」と呼ばれた。
 昭和35年(1960)には吉田茂がこの地に移設し、西園寺公望を合祀し、吉田茂本人も死後に合祀され、現在の「七賢堂」となった。正面の扁額「七賢堂」の文字は、佐藤栄作元首相の揮毫によるものである。

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