鎌倉歴史散歩(円覚寺・明月院)
(北鎌倉)

神奈川ウォーキング / 鎌倉市ウォーキング
北鎌倉駅(JR横須賀線)~円覚寺~明月院~北鎌倉駅(JR横須賀線)

mark円覚寺(えんがくじ)(鎌倉五山第二位)
円覚寺
円覚寺(国史跡)
総門
総門

 鎌倉五山第二位、山号は瑞鹿山、正式寺号は円覚興聖禅寺と称する。開基は八代執権北条時宗、開山は宋僧無学祖元(仏光国師)である。時宗は、文永・弘安両役(蒙古襲来)に殉じた彼此両軍死者の菩提を弔い、己の精神的支柱となった禅道を弘めたいと願い、且つその師無学祖元への報恩の念から円覚寺の建立を発願した。山号の瑞鹿は、無学祖元の開堂供養の説法を一群の白鹿が聴聞したとの伝説に由来している。

三門
三門
三門の扁額
三門の扁額

 総門をはいると杉並木囲まれた境内が広がり、三門は天明3年(1783)の再建で、伏見上皇の宸筆「圓覚興聖禅寺」の額がかけられ、楼上には聖観音菩薩像と十六羅漢像がまつられている。

仏殿
仏殿

 仏殿は元亀4年(1573)の仏殿指図をもとに建てられた伝統的禅宗様式の風格ある建物で、後光厳天皇窟筆「大光明宝殿」の額がある。

ビャクシン
ビャクシン
ビャクシン
ビャクシン

 仏殿の両脇には、大きなビャクシン(柏槙)が植えられている。

仏殿
宝冠釈迦如来坐像

 本尊には宝冠釈迦如来坐像がまつられている。本尊の頭部は鎌倉後期の作で、胴部は江戸初期の補修。脇侍の梵天・帝釈天は元禄5年(1692)の作である。

雲竜図
雲竜図

 天井には前田青邨監修、守屋多々志の揮毫による雲竜図がある。

選仏場
選仏場
鎌倉彫20人展
鎌倉彫20人展

 禅堂・坐禅場といもいわれる選仏場は、七堂伽藍の古い型式を伝えるものである。現在は運慶派の南北朝時代の作と伝えられる薬師如来が安置されている。
 令和元年(2019)11月2日~4日の3日間、鎌倉彫の作品が展示されていた。

オブジェ
オブジェ
花唐草文角鉢
花唐草文角鉢

飾り盆 クラゲ
飾り盆 クラゲ
硯箱 雲海
硯箱 雲海

手彫盛器 蔦文様
手彫盛器 蔦文様
オードブル皿セット 数珠玉文様
オードブル皿セット 数珠玉文様

妙香池
庭園(国名勝)

 白鷺池とともに創建以来の庭園であると伝えられ、自然の岸壁を景色に取り込んだ名園である。庭園北壁に露出する大きな岩が、『扶桑五山記』に伝える虎頭岩である。妙香池は何度も改修が行われたためか、創建時とは異なってしまっていたが、平成13年(2001)、江戸時代初期の絵図をもとに改修工事が行われ、ようやく往古の姿となった。

舎利殿 特別公開
舎利殿 特別公開
参拝記念シール
参拝記念シール

 令和元年(2019)11月2日~4日の3日間、舎利殿の特別公開が行われていた。

正統院
正統院
鐘楼・土蔵
鐘楼・土蔵

 塔頭の正統院(非公開)は舎利殿があることで知られる。創建当初の舎利殿は永禄6年(1563)の大火で焼失し、現在の建物は、もと西御門にあった鎌倉尼五山の一つ、太平寺の仏殿で室町初期の創建とみられ、先の大火の後、円覚寺に移築されたものと考えられる。

舎利殿
舎利殿(国宝)

 舎利殿は年代的には室町初期と思われるが、鎌倉時代の禅宗様の特色を色濃く残している。裳階を有する単層入母屋造であるが、花頭窓・扇垂木・桟唐戸などの禅宗様の特色が強くみられる。

舎利殿 内陣
舎利殿 内陣

 内陣には、明和2年(1765)につくられた御宮殿に、三代将軍源実朝が宋の能仁寺から請来したという仏牙舎利がおさめられ、脇侍に観音菩薩像と地蔵菩薩像が安置されている。

仏日庵
仏日庵
仏日庵
仏日庵

 仏日庵は、初め円覚寺開基の北条時宗の廟所で、その墓堂として建立され、のち北条得宗家の廟所として時宗夫人の覚山尼や北条貞時、北条高時の墓所となっている。

開基廟
開基廟

 時宗は、五代執権北条時頼の子、正寿。幼くして次期執権と目され、14歳で七代執権北条政村の補佐を務める「連署」に就任。文永5年(1268)18歳で八代執権となる。
 開基の北条時宗のみたまや、堂内には時宗・九代執権北条貞時・十四代執権北条高時の尊像が安置されている。現在の開基廟は江戸時代文化8年(1811)に改築されたものである。

唐門(勅使門)
唐門(勅使門)
扉の彫刻
扉の彫刻

 方丈の正門である唐門は、天保10年(1839)の建立である。屋根の形が弓を横にしたような形をしているので、これを「唐破風」といわれる。松と鳥、獅子や像(または獏)、扉には龍・雲・波濤など、見事な彫り物が見られる。

方丈 内部
方丈 内部

 方丈は昭和4年(1929)建立の入母屋造の壮大な建物で、本来は住職の居間だが、現在は各種法要、坐禅会や説教、夏季講座などの講習会や秋の宝物風入など、多目的に使われている。

双龍図
双龍図
亡魂救済図
亡魂救済図

禅宗庭園
禅宗庭園(公園・庭園)

 方丈の裏には心字池を中心とする禅宗庭園がある。

百観音
百観音
百観音
百観音

 方丈前の百観音は江戸時代、拙叟尊者が百体の石仏を岩窟に泰安したことが由来となり、明治に至って今北洪老師が整備された。

弁財天
弁財天

 江の島より招来した弁財天をまつり、60年ごとに江の島弁財天と当山との間で祭礼が盛大にとり行われている。

鐘楼
鐘楼
洪鐘
洪鐘(国宝)

 北条貞時が江の島弁財天に参籠し、天下泰平、万民和業を祈り、天安3年(1301)に鋳造された。

洪鐘弁財天茶屋
洪鐘弁財天茶屋
茶屋からの眺め
茶屋からの眺め

黄梅院 入口
黄梅院 入口
黄梅院
黄梅院

 黄梅院は、北条時宗夫人の覚山尼が時宗の菩提のために建立した華厳塔の地に、後に足利氏が無学祖元(仏光国師)の塔所として建立した。室町時代に寺盛を極め、古文書なども多い。

聖観世音
聖観世音
木像
木像

 聖観世音には、中国から請来した聖観音菩薩立像が安置されている。

桂昌庵 閻魔十王像
桂昌庵 閻魔十王像
地蔵菩薩(矢柄地蔵)
地蔵菩薩(矢柄地蔵)

 桂昌庵は三門の左側にあり49世承先道欽の塔所。かつて北鎌倉十王堂橋にあった十王堂の十王像を移してまつり、十王堂・閣魔堂ともいう。現在は弓道場となっている。

居土林
居土林
境内
境内

 居土林は禅を志す在家のための坐禅道場、もと牛込にあった柳生流の剣道場を、昭和3年(1928)柳生徹心居士より寄進され移築した。
 境内には、塔頭が正統院以下17院をかぞえ、鎌倉五山の中で最も多く残る。17院のうち、松嶺院、柱昌院、仏日庵、黄梅庵以外は非公開である。

仏殿と紅葉
2014.11.23 鎌倉 円覚寺の紅葉
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mark明月院(めいげついん)
総門
総門
山門
山門

 明月院は、創建は今から830年前、永歴元年(1160)にはじまる。この地の住人で、平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩薩供養として俊道の子、首藤刑部太夫山ノ内經俊によって創建された。

朝一番の参道のアジサイ
朝一番の参道のアジサイ(花の名所)

 梅雨時には、境内が約2500株の青色のアジサイが咲き誇ることから「明月院ブルー」と呼ばれている。特に、参道のアジサイは撮影ポイントとなっている。

関連ページ(アジサイの名所)

方丈(本堂)
方丈(本堂)
悟りの窓
悟りの窓

 悟りの窓から後庭園が見える。

開山堂
開山堂(国史跡)
宝物庫
宝物庫

 開山は建長寺開山蘭溪道隆(大覚禅師)の五世法孫の位地にあった密室守厳禅師。康暦2年(1380)、二代鎌倉公方足利氏満が管領上杉安房守憲方に禅興寺の中興を命じ、伽藍を完備、寺域を広大にし、支院を配置させた。

瓶の井
瓶の井
やぐら
やぐら

 鎌倉十井の一つ。
 岩盤を垂直に掘り貫いて造ったとみられ、その内部が水瓶のようにふくらみがあることから、「瓶の井」と呼ばれ、鎌倉十井の中でも現在使用できる井戸しては数少ない貴重な存在である。
 やぐらは開山堂の左横にある墳墓堂で、間口7m、奥行6m、高さ3mにおよび、現存している鎌倉市内のやぐらのなかで、最大級である。

枯山水庭園
枯山水庭園

最明寺入道北条時頼公御廟所
最明寺入道北条時頼公御廟所
北条時頼公墓所
北条時頼公墓所

 北条時頼は、父時氏、母安達景盛の娘で、安貞元年(1227)生誕。三代執権北条泰時の善政の後を受け継ぎ、寛元4年(1246)19歳で五代執権職につく。ますます北条執権を確固たるものに築き、一族の全盛期を迎える一方では禅宗に深く帰依した。建長5年(1252)中国の高僧、大覚禅師を開山に迎え、わが国最初の禅の専門道場、建長寺を創建。康元元年(1256)にはこの地、最明寺において、建長寺開山大覚禅師を戒師とし30歳の時出家。僧名は覚了房道崇と号し、執権職を長時にゆづる。

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