中観音堂には、2mをこす本尊の十一面観音像をはじめ、17体の円空作仏像群(県指定文化財)が安置され、隣には羽島円空資料館が併設されている。今や国内外で注目されるようになった鉈彫りの円空仏は、力強くかつ柔軟な姿をもって現代人の心を魅了し続けている。
観音堂内に祀る円空仏の殆どは、十一面観音像と共につくられている。いずれも上質のヒノキ材で、鬼子母神と聖徳太子や、神像と弁財天などは、対のような感じで彫られている。これらの像はいずれも表面がなめらかに彫られていて、ひたすら古典を追ったとされる円空初期の特徴を示している。
「円空上人は、寛永9年(1632)羽島市上中町中に生まれ、幼き頃から出家して某寺にいたが、23才の頃出奔して流浪の旅に出たという。やがて伊吹山修験の大平寺に身をよせ、白山禅定、富士山禅定などをこころみ、12万体の仏像の彫成を発願するに至ったという。
寛文6年(1666)北海道に渡り、ついで東北をめぐっていくつかの円空仏を残し、同9年の頃、郷里の中観音堂の本尊十一面観音像をつくったと推測される。この十一面の像の背面には「鉈が入っている」というくりぬきの跡があるが、誰も見た者はいない。」(※)
17体の円空仏を祀る観音堂とその周辺は中屋敷と呼ばれ、どの家も小さな円空仏が護持されている。しかし、生家については確証がなく、ただ、この加藤正義家の井戸跡が「円空上人の産湯に使われた井戸」として昔から語りつがれてきた。