針ノ木岳直下のビバーク
(冷乗越から七倉岳へ縦走)

(山行記録)
登山日:1969.7.31(昭和44年)
メンバー:3名
・1日目:大町~大谷原~冷乗越~冷池山荘
・2日目:冷池山荘~爺ヶ岳~鳴沢岳~赤沢岳~スバリ岳~針ノ木岳~頂上直下でビバーク
・3日目:頂上直下~針ノ木小屋
・4日目:針ノ木小屋~蓮華岳~北葛岳~七倉岳~船窪小屋
・5日目:船窪小屋~天狗ノ庭~七倉~大町~(大町山岳博物館)

 雨・雷に悩まされ遭難寸前、でも最終日の七倉への下りは雲海の中でした。

mark誰が雨男?
 7月下旬の天候は1年の中でも一番安定しており、夏山には適した季節であるはずが、今山行の前半3日間は雨に随分悩まされた。どうも3名の中で誰かがいると、いつも雨が降る様な気がしてならなかった。大谷原から西俣出合に入るのは、今回で3回目である。今回の縦走では小屋泊まりの計画だったが、3名のキスリングは、5日間の食糧が入りいつもと同じ程度の荷物になっていた。

mark鳴沢岳近くからは、「大雨」と「雷」が
 翌朝6時半に、冷池山荘を元気よく出発する。天気は曇り空で、爺ヶ岳、種池山荘を通過し、新越山荘までは順調に進む。ここで昼食を取る。しかし鳴沢岳の登りで、心配していた雨が急に降り始めた。さらに雷が2,3回ほど鳴り響き我々をビックリさせた。

mark頂上直下でビバークを決断する
 雨とひどいガスで見通しが悪かったが、針ノ木岳頂上までは稜線上の道で特に迷うことはなかった。しかし、針ノ木岳頂上では、針ノ木岳小屋へ下りる方向が全く分からず焦ってしまう。
 リーダーである自分は、「こんな時は、適切な判断をしないとまずい!」と急に責任感が全身を走る。夕方の5時も過ぎ、これ以上の行動をして間違った道に入る危険があったので、頂上から少し下りた大きな岩の下でビバークすることに決断する。まず、雨でズブ濡れになった衣類を着替た。狭い場所だったが雨風にはさらされることなく、バーナーの火で十分暖まり寝ることができた。

針ノ木岳(大観望より)
針ノ木岳(大観望より)

【針ノ木岳(2821m)】
 この山にまつわる歴史は古く、1584年冬の越中城主佐々成政による針ノ木峠越えの伝説はよく知られている。近代では1870年代からの外人登山者の入山が目立ち、同じころ針ノ木峠越えで立山まで新道が開かれたりしている。この山の名は、針ノ木峠の名にちなんで、日本山岳会員辻本満丸氏らが命名しものだが、その「針ノ木」は、この付近に生える「ハンノキ」からの転訛といわれる。」()

mark3日目は、針ノ木岳小屋で停滞
 朝5時に目が覚める。
 外を見渡すと、我々のビバーク場所から50mほどの先を、針ノ木岳へ登る人を見て一安心した。昨日と同じ天気だったので、3日目は針ノ木岳小屋で1日休養を取り、ズブ濡れになった衣類を乾燥することにした。

mark腹一杯のカレーライスに満足!
 4日目にしてやっと晴れに恵まれ、針ノ木岳小屋から蓮華岳、北葛岳、七倉岳を順調に歩き船窪小屋に着いた。そして、夕陽に染まる薬師岳を眺めながらの夕食のカレーライスは、バツグンに美味しかった。

雲海に出会う(天狗ノ庭付近)
雲海に出会う(天狗ノ庭付近)

mark七倉への下りは爽快な足取り!
 食糧を全て使い終わったキスリングは軽くなり、爽やかな朝日を受け、そして素晴らしい雲海を見ながらの七倉への下りは快適である。ただ心の中では、今回の山行での雨・ガスでの歩き、そしてビバーク等、いろいろと辛かった経験を思い出しながら反省していた。

map 山岳マップ

針ノ木岳直下のビバーク
(冷乗越から七倉岳へ縦走)


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