残雪の鹿島槍ヶ岳・東尾根
(大谷原から三ノ沢へ)

(山行記録)
登山日:1967.5.12(昭和42年)
メンバー:7名
・1日目:大谷原~西俣出合BC設営~鎌尾根取付往復
・2日目:BC~三ノ沢取付~ルンゼ~東尾根~鹿島槍ヶ岳北・南峰~鎌尾根~BC
・3日目
(1)BC~三ノ沢取付~ルンゼ往復~BC
(2)BC~赤岩尾根~爺ヶ岳北・中央・南峰~BC
・4日目:BC撤収~大谷原~黒沢スキー場~築場

 三ノ沢上部でサブリック(カメラ)を落とすミス。爺ヶ岳頂上のハイマツの上では完璧な昼寝をしていた。

mark朝は、恒例の「ギジ打ち」
 2日目、西俣のテントを午前2時ごろに出発する。寝ぼけ状態の重い足取りで北俣本谷の雪渓を1時間ほど登ると、今日の目的である東尾根に通じる三ノ沢取付に着く。
 ここで、各自バラバラに朝の恒例のギジ打ちを気分よく済ませた後、三ノ沢の急斜面の雪渓の登りに挑む。

mark三ノ沢の登りは厳しい
 日の出前の雪渓登りではあったが、雪崩が多い時期だけに、別の沢では小規模な雪崩が頻繁に発生しており、雪山の経験が浅い自分にしては不気味なものである。
 途中、雪解けしている岩場(ルンゼ)では、結構厳しい登りで全員が通過するには相当な時間を費やした。

markサブリックが落下?
 東尾根第二岩峰手前の雪渓上で行動食をとり、「さあー出発!」と思った途端、自分の手からサブリックが離れ、あっという間に今まで登ってきた沢に転がり落ちてしまった。
 その瞬間の様子は全く信じられない気持ちであったが、時間が経つにつれ、自分の不注意に対する虚しさで気分が落ち込んでいた。

東尾根第二岩峰
東尾根第二岩峰
高千穂平からの鹿島槍ヶ岳
高千穂平からの鹿島槍ヶ岳

【鹿島槍ケ岳(2889m)】
 名実ともに後立山の盟主という存在である。端麗と表現される南北2つの峰と、それを結ぶ吊り尾根がつくるこの山の姿は、どこから眺めても美しい。この山に魅せられた岳人たちは、同時にこの山が内懐に秘める荒々しさのとりこにもなったものである。」()

mark荒沢の頭から鹿島槍北峰へ
 三ノ沢を登りつめると第二岩峰の直下に出た。この第二岩峰をアイゼン着けたままでの登りは、恐怖感でドキドキの連続である。
 途中、荒沢の頭付近の稜線ではアンザレンして慎重に歩行、昼食後から約3時間ほどで鹿島槍北峰の頂上に着く。頂上に立った時には今までの苦労を感じてか、自然に拍手とバンザイが起こった。

mark帰りのグリセードは楽しい!
 鹿島槍南峰からの帰りは、布引岳鎌尾根の突出した雪庇より下降する。
 多少傾斜が緩やかになるとアイゼンを外し、グリセードに切替て沢を下って行く。足の踏ん張りとピッケルとの体重バランスでの滑りは、スキー感覚に似たもので結構楽しいものである。

mark「落としたサブリック」探し
 先輩のメンバーには、三ノ沢ルンゼ付近を2度(2・3日目)にわたり捜索してもらうが、自分のサブリックは残念ながら見当たらなかった。
 そして、その間には落石事故(ケガには至らなかったが)も発生した事もあり、先輩には大変迷惑をかける始末になった。

mark爺ヶ岳頂上のハイマツで、全員昼寝
 3日目は二組みに分かれ、自分含めて3名は赤岩尾根・高千穂平から爺ケ岳を目指した。
 残雪の岩肌が美しい剣・立山連峰、黒部川十字峡まで続く棒小屋沢を眺めながら、3名は主峰の頂上でハイマツをベットにして心地よい時間を過ごした。

【爺ケ岳(2670m)】
 後立山連峰の南部にあり、3つのピークからなる。北から一直線に南下してきた後立山の主稜線は、この爺ケ岳で西方へ大きく彎曲し、越中側にすり鉢を半分に切ったような、ハイマツの見事な大斜面をつくっている。爺ケ岳の山名は、南峰と本峰との間、白沢の上部に、残雪期に種子蒔き爺さんの雪形が現れるところから付けられたもので、爺さんが蒔く種を漬ける種池だ、というおまけまでついている。」()

map 山岳マップ

残雪の鹿島槍ヶ岳・東尾根
(大谷原から三ノ沢へ)


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