新雪の前穂高岳
(岳沢から重太郎新道へ)

(山行記録)
登山日:1967.10.6(昭和42年)
メンバー:6名
・1日目:上高地~岳沢テント設営~前穂高岳~BC
・2日目:BC~南稜トリコニー下~BC
・3日目:BC~天狗のコル~BC
・4日目:BC~前穂高岳~テント撤収~上高地

 ブロッケンが見えた穏やかな前穂高岳山頂も、最終日には氷と深雪の厳しい山に変貌していた。

mark前穂高岳頂上で「ブロッケン」を見る
 岳沢ヒユッテ近くでテント設営を終えた初日の午後、天気も良かったので前穂高岳を往復する。重太郎新道のジグザクな道を、約2時間ほど登ると広々とした前穂高岳の頂上に着いた。
 しかし、高度が上がるにつれてガスが発生し始めていたので、頂上での視界は悪く、すばらしい槍・穂高の展望が見えなかったのが残念。
 ただ、大変めずらしいブロッケン(日の光をガスがレンズの役目を果たし、その焦点に我々が写る現象)に遭遇したのはラッキーだった。

岳沢湿原
岳沢湿原

mark深いガスに、予定の行動できず
 計画では、2日目は南稜からの奥穂高岳、3日目にはタタミ尾根からジャンダルムと予定していたが、生憎の雨と深いガスに見まわれて思う様には行動が出来なかった。
 結果、3日目には南稜取付からトリコニー下までの偵察に止まり、そして3日目は天狗のコルの遭難小屋までの往復となる。やはり「自然には逆らわないのが登山の基本」と考えさせられた1日間である。

mark夕食は唯一の楽しみ!
 2日目の夕食は野菜いためのご馳走である。山での朝食・昼食にはあまり時間をかけることは出来ないが、今日の夕食時間は多少余裕があり楽しみな一時である。料理が美味しいとなれば皆の会話も弾む。そして、そんな時には「◯◯の早食い」や「△△の大食い」などのあだ名が誕生するものである。

markガスの切れ間に、新雪のトリコニー
 メンバーの3名が下山した。そして残り3名で夕食の用意をしていた時、急に岳沢周辺のガスが晴れてきた。ガスの切れ間から新雪を被ったトリコニーの美しく岩肌が覗く。しばらくの間、夕食の用意も忘れ各自写真撮りに夢中になっていた。

新雪のトリコニー
新雪のトリコニー
前穂高岳・北尾根
前穂高岳・北尾根

【前穂高岳(3090m)】
 北穂高の滝谷と肩を並べるほどのロッククライミングのゲレンデでもある。井上靖の名作「氷壁」の中で、物語の初めに、魚津恭太と小坂乙彦が厳冬の前穂高岳東壁で滑落事故を起こし、ナイロンザイルが切れるアクシデントに見舞われるシーンは、実際に起きた事故をモデルにしている「ナイロンザイル切断事件」として社会問題になったほどだ。」()

mark一般の登山道が、氷と新雪により急変
 最終日、快晴の冷え込みが厳しい朝である。
 当初の計画には入っていなかったが、好天気だった事もあり、新雪の前穂高岳往復を試みようと3名の意見が一致した。約3時間ほどの重太郎新道は、初日と変わらず順調な登りができた。しかし、その後の岩場では様相が一変し、石や岩に氷が付着した所に昨日の新雪がうっすらと被った状態である。3名とも8本爪のアイゼンが滑るほどであり、先ほどまでの登りと違って緊張感が急に増した。

mark頂上からの展望は最高!
 どんなに整備された一般の登山道でも、氷や雪の状況によっては厳しくなるもので、前穂高頂上まで上がって来る人はほとんどいなかった。頂上からの展望は想像以上にすばらしく、真っ赤に紅葉した涸沢、大きな北穂高岳、聳え立つ槍ヶ岳などが見える最高の場所である。そして眼下の雪化粧した北尾根の凄さに、しばらくの間3名は見惚れていた。

黄葉したカラマツ林(梓川左岸)
黄葉したカラマツ林(梓川左岸)

map 山岳マップ

新雪の前穂高岳
(岳沢から重太郎新道へ)


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