赤岳頂上からの初日の出
(美濃戸口から行者小屋へ)

(山行記録)
登山日:1971.12.30(昭和46年)
メンバー:5名
・1日目:美濃戸口~南沢~行者小屋~テント設営
・2日目:BC~地蔵尾根~赤岳展望荘~赤岳~中岳~阿弥陀岳~BC
・3日目:BC~赤岳鉱泉~硫黄岳~横岳赤岳展望荘~地蔵尾根~BC
・4日目:テント撤収~南沢~美濃戸口

 小松山荘のオヤジと囲碁打ち。テントにしめ飾りを付けて正月を迎える、寒さ対策も万全だったが・・・。

mark2週間前に偵察で山に入る
 我々は八ケ岳の冬山経験がなかったので、12月中旬に3名で美濃戸口から行者小屋まで入り、積雪量や地蔵尾根の登りルートなどの確認をした。
 1日目は行者小屋に泊まり、2日目には行者小屋から赤岳鉱泉経由で美濃戸口に戻った。

mark小松山荘のオヤジは優しい
 美濃戸口には三軒の山荘があるが、小松山荘のオヤジは、通りかかる登山客の一人ひとりに優しい声をかけてくれる。笑いながら「野沢菜を食っていけ! ただだぞ!」の一言につられ、熱いお茶とおいしい野沢菜をいただくのは偵察時と同じである。(しかも偵察時には、オヤジと囲碁を打ちながら1時間ほども休憩させてもらった)

mark「しめ飾り」を付けて、テント設営完了!
 美濃戸口から3時間ほどで、行者小屋付近にあるテント場に着く。あふれるばかりに沢山のテントが張られていて、我々のテント設営場所を探すのに一苦労する。
 大小のテントを張った最後に、名古屋駅コンコースで「山で正月を迎える為に、どうぞ!」と貰ったしめ飾りを付けた。

mark寒さ対策も万全!
 昨年(正月上高地)では厳しい寒さで毎晩悩まされたので、今回はシュラーフを新調し、あんかを持参するなど万全の準備を怠らなかった。数々の努力の甲斐があって、寝てる途中に寒さで起こされる事もなく、毎日熟睡することが出来た。

mark初日の出は、神秘的!
 元旦の朝、テントを5時半に出発する。赤岳展望荘までの地蔵尾根は、トレースもしっかりしており難無く登ることが出来た。
 多くの登山客が赤岳展望荘の前で初日の出を待つが、稜線の東斜面を吹き上げる風と厳しい寒さに苦しめられる。それでも、誰ひとりこの場所を離れる人はいなかった。
 ここで見た神秘的な初日の出は、はっきりと脳裏に焼き付いている。

mark岳の頂上で、ホットする
 赤岳までの稜線では突風に苦しめられ、身体が風に飛ばされない様にピッケルで支える場面が続いた。赤岳の頂上に立った時、今までの緊張感がとれて、カメラを手にする気持ちになった。しばらくの間、360度の展望を楽しんだ。

赤岳頂上より横岳を望む
赤岳頂上より横岳を望む
テントのしめ飾り
テントのしめ飾り

【赤岳(2899m)】
 赤岳は八ケ岳連峰の最高峰で、長野県茅野市と山梨北巨摩郡大泉村との境に位置している。その山容は南麓の長坂方面から仰ぐと、ヨーロッパ・アルプスのアイガーに似て、勇壮そのものである。赤岳という山名は、酸化鉄による赤い岩肌からきたもので、早朝や夕映えの輝きはひときわ美しいものがある。」()

mark3日目は硫黄岳から横岳へ
 小雪降る3日目は、赤岳鉱泉から硫黄岳へ登る。途中硫黄岳小屋で昼食を取り、ガスの状態がひどい中を歩くが、どこが横岳の頂上かも全く分らなかった。
 赤岳展望荘から行者小屋テント場へは、30分ほどの下りである。

mark小松山荘で暖をとり下山する
 この3日間で、厳冬期の北八ケ岳を計画通りに登れたことで、皆充実感にあふれていた。テントを撤収して美濃戸口に着いたのが朝9時である。いつもお世話になる小松山荘で暖をとり、我々は茅野行きのバスに乗り込んだ。

【八ケ岳連峰】
 南北に長く連なる八ケ岳連峰は、山容や地域の特性などから、一般に夏沢峠以南を「南八ケ岳」、以北を「北八ケ岳」と呼んでいる。山麓には、観音平、天女山、美しノ森、松原湖、八千穂、白樺湖の各高原をはじめ、人工雪を使ったスキー場急増した。諏訪湖には奥蓼科、横谷、蓼科の温泉郷も控えていて、保養地としても多くの人々に愛好されている。」()

map 山岳マップ

赤岳頂上からの初日の出
(美濃戸口から行者小屋へ)


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