昨夜は、「皆で黒川温泉に行こう」と話しをしていたが、今日になり、私が「阿蘇にも行きたい」と言った為、結局、仙酔峡ロープウェイで登ることに決まった。
高岳と中岳の北麓にある渓谷。晴れた日には、北外輪山や阿蘇五岳、久住連山が一望できる。5月中旬には、群生するミヤマキリシマ約5万株が咲き乱れ、山肌がピンク色に染まるほどのみごとな景観を見せる。定員61名の仙酔峡ロープウェイには、我々7人の他には2人のお客だけである。(この真冬の季節に登る人は誰もいないでしょう!)
火口東駅の中にある神社のお塩で身を清めてから、火口の展望台に向けた歩き始めた。火口までは500m程の上りだが、吹き抜ける風の冷たさが、段々と顔や手の痛さに変わってきた。
やっとの思いで全員無事に火口の展望台に上がることが出来た。火口からの白い噴煙、周囲の山々、青い空の素晴らしい眺めに、カメラのシャッターを何回も押した。ここで女性陣の記念写真を撮り、足早にロープウェイ乗り場までかけ降りた。
仙酔峡ロープウェイから宮地駅に戻り、駅近くにある阿蘇神社にお参りをした。肥後の一の宮で歴史ある立派な神社。特に大楼門の造りは優れている。
大楼門は、様式は、十二脚唐門、上層両妻づくり、下層卸し、唐破風付けなどのむづかしい用語で記録されていますが、俗に、二層楼山門式とよんでいます。スケールは豪壮にして優美、全体に繊細な技術工夫がなされており、今では珍しくなった木造の楼門建築の粋をこらした貴重な文化遺産である。
大楼門の絵馬は、神社・仏閣にお供え物を奉献することは古代から行われており、神馬の献上も又その一つであったが、平安時代の中頃になると、生き馬にかえて、木馬・紙馬等の献上が行われ、やがて神馬の姿を絵に描いた額を奉献することが起こった。
10世紀初めに成立した『延書式』神名帳にも記載された式内社で、明治時代には官弊大社とされた。阿蘇神社の末社は、現在、県内に300社を超えるが、このことからも肥後国一宮という社格の高さと、中世阿蘇氏の勢力の大きさをうかがい知ることができる。ただし、社殿がこの地に鎮座するようになった時期については、はっきりした記録がない。願かけ石は、往時(二千年前)当神社の祭神阿蘇大明神がもろもろの願いをこめて祖神の霊にに額づかれたという。これは当時の「霊場の岩石」の一部といわれ古来(昔)より神石として伝承保存されてきた。阿蘇神社近くのレストランで熱いコーヒーを皆で飲んだ後、昨夜から行動を共にしていた神角寺の住職と妻の友人らとは、ここでお別れすることとなった。
「標高936m、外輪山の最高峰で抜群の眺望を誇るビューポイント。ここからの阿蘇五岳は、釈迦涅槃像(釈迦が寝ている)のように見える。古くは遠見ケ鼻と呼ばれていたが、ここの眺めに感動した文豪・徳富蘇峰によって大観峰と名付けられた。初夏から初秋にかけては、大雲海の雄大な景色を見ることができる。」(※)