観光コース
浜松駅(JR東海道線)~浜松城跡(浜松城公園)~浜松駅(JR東海道線)「浜松城は徳川家康の関東移封(1590年)後、城主となった豊臣系の堀尾吉晴・忠氏父子によって大規模な改修が行われ、その後の大名によっても幾度か修築されている。天正年間(1573~92)にはほぼ完成したと推定される浜松城は、天守台から東に向かい、本丸・二の丸・三の丸としだいに低くなる梯郭式とよばれるものである。また、天守が本丸ではなく天守曲輪と呼ばれる小さな曲輪に築かれたことが特徴である。」(※)
「石垣は見るからに荒々しく、外観は粗雑で一見崩れやすいように思えますが、4百年の風雪に耐え、いまなお当時の面影を残している。この石垣は野良積みといい、自然石を上下に組み合わせて積む方法で、慶長(1596~1615年)以前はこの方法が多く用いられていた。
浜松城 天守には穴蔵と呼ばれる地階があり、その中央部には石組井戸がある。石組井戸とは穴のまわりを、石を積んで崩れないようにしたもので、この時代、他の城郭にも多く見られる。」(※)
金小札沢潟二枚胴具足の鎧は、江戸時代の大名などが着用した大鎧を忠実に複製した当世具足である。紺糸威黒鎧二枚胴具足の鎧は、徳川家の鎧を忠実に複製した当世具足である。
「徳川家康は、室町時代に築かれた引間城をさらに南西の丘陵地まで拡張し、遠江支配拠点の浜松城とした。家康は、元亀元年(1570)から17年間にわたる青壮年期をすごし、岡崎城から浜松城へ本拠を移したときに、引間という地名を「浜松」に改めたという。浜松在城中に姉川、長篠、小牧・長久手の戦いが行われた。」(※)
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