東京大学構内散歩(弥生キャンパス)
(本郷三丁目~根津)

本郷三丁目駅(東京メトロ丸ノ内線)~本郷キャンパス~弥生キャンパス~根津駅(東京メトロ千代田線)
mark東京大学弥生キャンパス(とうきょうだいがく やよいキャンパス)
農正門
農正門
農正門
農正門

 昭和10年(1935)に農学部が駒場から第一高等学校跡に移転した後、昭和12年(1937)に創建された。現在の門は平成15年(2003)に木曽のヒノキ材を用いて復元された。

農学資料館
農学資料館
上野英三郎像
上野英三郎像

 上野英三郎は東京大学において明治33年(1900)に農学部第2講座分担を開始され、明治44年(1911)に農業工学講座の担任教授に就任、大正14年(1925)まで教鞭をとられた。上野英三郎のご功績は、整然とした耕地の区画整理の考え方と技術を教育・指導されたことにあり、その結果は日本の原風景とも呼ぶべき美しい水田風景となって現代人の目に映っている。なお、上野英三郎は、有名な渋谷の忠犬ハチ公の飼い主である。昭和62年(1987)、新藤兼人原作・脚本の映画「ハチ公物語」で仲代達也が演じた東大教授が上野教授であった。

館内展示室
館内展示室
全国 東京大学演習MAP
全国 東京大学演習MAP

上野英三郎とハチ公像
上野英三郎とハチ公像

上野英三郎像
上野英三郎像
ハチ公像
ハチ公像

 秋田犬のハチは大館市生まれ、生後50日ほどで東京帝国大学農学部の上野英三郎博士に贈られた。犬好きだった博士はハチを大切に育て、大いに可愛がり、当時は駒場にあった農学部への通勤や渋谷駅からの出張にはいつも送り迎えをさせた。学生たちは教授の飼い犬を呼び捨てにすることをはばかり、「ハチ公」と呼んで敬意を表した。およそ1年半が過ぎた大正14年(1925)5月21日、博士は大学構内で急死した。それからハチは死ぬまでのおよそ10年間、朝夕に渋谷駅に通い、博士の姿を探し求めた。生前、博士が長期出張から渋谷駅に戻った時、改札口でひとり待つハチに驚き、この像のように、互いにじゃれ合って喜んだという。

朱舜水先生終焉之地碑
朱舜水先生終焉之地碑
向陵碑
向陵碑

 朱舜水(1600-82)は日本に帰化した明の遺臣である。寛文5年(1665)水戸藩二代藩主徳川光圀に招かれ、この地で儒学を教授した。その大義名分を重んじる思想が、水戸学の形成に大きな影響を与えたといわれる。この記念碑は、日本渡来250年祭にあたり水戸藩邸内に朱舜水記念碑を建てたものである。
 向丘を向陵と呼び、かつてここに第一高等学校があったが、現在は東大の教養学部として目黒区駒場に移っている。

農1号館
農1号館
農3号館
農3号館

ヨハネス・ルードヴィヒ・ヤンソン像
ヨハネス・ルードヴィヒ・ヤンソン像
動物医療センター
動物医療センター

 ヨハネス・ルードヴィヒ・ヤンソンはベルリン獣医学校で獣医学を、ベルリン大学で解剖学、組織学、生理学、外科学を学んだ。獣医学の外国人教師として明治13年(1880)に来日。同年11月22日に開設された家畜病院(現在の動物医療センターの前身)において、近隣で飼育の動物を対象に診療活動を実践し、獣医臨床学の実地教育に多大な貢献を果たした。

弥生二丁目遺跡(国史跡)
弥生二丁目遺跡(国史跡)
弥生坂(鉄砲坂)
弥生坂(鉄砲坂)

 昭和50年(1975)、弥生町二丁目の工学部増築工事中に、根津谷に臨む崖上の貝層から弥生土器が採集され、東大人類学・考古学教室による正式の発掘調査が行なわれた。その結果、貝塚と多数の弥生土器破片が発掘され、5個の弥生土器も復元でき、文化庁によって弥生2丁目遺跡として国史跡に指定された。
 かつて、このあたり一帯は「向ケ岡弥生町」といわれていた。元和年間(1615~24)の頃から、御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部、地震研究所)であった。隣接して、小笠原信濃守の屋敷があり、南隣は加賀藩前田家の屋敷(現東大)であった。明治2年(1869)これからの地は明治政府に収公されて大学用地となった。明治5年(1872)には、この周辺に町家が開かれ、向ケ岡弥生町と名づけられた。ひの頃、新しい坂道がつけられ、町の名をとって弥生坂と呼ばれた。明治の坂道で、また坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので、鉄砲坂ともいわれた。

⇒ 上野公園周辺 ウォーキングマップ