穴守稲荷神社周辺歴史散歩
(穴守稲荷~産業道路)

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散歩コース

穴守稲荷駅(京急空港線)~穴守稲荷神社~玉川弁財天~自性院~羽田神社~羽田の渡し~産業道路駅(京急大師線)

mark穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ)
鳥居
鳥居
手水舎
手水舎

 もとは羽田空港内の鈴木新田にあったが、昭和20年(1945)に米軍に接収され、いったん羽田神社に合祀されたのち、間もなく当地に再建遷座された。

拝殿
拝殿

 「天保のはじめ頃、鈴木新田は堤防の空穴から海水が浸入し、暴風や津波のたびに大変な被害をこうむった。そこで、名主鈴木弥五右衛門が、堤防上にこの社を祀ったところ、その神力で被害を最少にくいとめることができたという。明治18年(1885)、地元の有志が当社の振興策として公衆参拝の公許を得てから、魚貝業者や花柳界、さらに一般の商売繁昌祈願の流行祠となっていった。」()

千本鳥居
千本鳥居
奥之宮
奥之宮

 令和2年(2020)4月、改修工事が終わり、朱色の美しい千本鳥居・奥之宮が見られる。「奥之宮の御神砂は持ち帰り、敷地内または玄関等に撒く。或いは身につけると所願がかなう」と伝えられている。

狐の像
狐の像
神楽殿
神楽殿

 羽田七福いなりめぐりの一社になっている。

弁天橋
弁天橋
羽田大鳥居
羽田大鳥居

 明治35年(1902)には、京浜電車が稲荷橋まで開通、参道にはおびただしい数の鳥居と茶店、土産物店などが立ち並んだ。現在、羽田空港内に残る大きな大鳥居は、当社が空港内にあった時代の遺物である。

氏神 鈴木弥五右衛門の碑
氏神 鈴木弥五右衛門の碑
「平和」の扁額
大鳥居 「平和」の扁額

 鈴木弥五右衛門は、穴守稲荷神社の生みの親であり、鈴木新田の開祖である。
 江戸時代からの戦前、戦中、戦後の出来事の歴史を見据えて、この地を守護し羽田から世界平和への文化交流の空の架け橋として、現在も、大鳥居は未来の平和の象徴となっている。

弁天橋の「海苔取り」プレート
弁天橋の「海苔取り」プレート
羽田浦
羽田浦

 羽田浦で水揚げされた魚介類の鮮度は高く、徳川将軍家に献上したり、江戸の町に運んでいた事実が伝えられている。特に羽田洲は、「干潟広大にして諸貝を産し、中でも蛤貝を名産として、汐吹貝、赤貝多し」と古くから多くの貝類が漁獲されていた。海苔の本場でもあった。

mark玉川弁財天(たまがわべんざいてん)
玉川弁財天
玉川弁財天
向拝彫刻
向拝彫刻「唐獅子」

 羽田狩師町にある水神社の境内に、もと要島にあった玉川弁才天の下宮が、終戦時に敷地を米軍に接収されて失ったため、合祀さ れている。羽田七福いなりめぐりの一社になっている。

向拝彫刻
向拝彫刻「龍」

 向拝の「龍」、「唐獅子」の彫刻は、立派である。

mark自性院(じしょういん)
山門
山門
本堂
本堂

 開山の慈性は平治元年(1159)7月20日に没したというから、羽田最古の寺院ということになる。九世恵朝は永禄2年(1559)に没したが、この頃、寺運隆昌期を迎えたので、中興開山と仰いでいる。
 安政5年(1858)に火災に遭い、記録や宝物を焼失、本尊の薬師如来立像は、その後文久3年(1863)に再造されたものである。

牛頭天王堂
牛頭天王堂

 牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神で、神道の「須佐之男命」と同一視される。昔、疫病や祟りを恐れた人々が悪いものを除ける神として牛頭天王を祀る信仰が広がったと言われている。
 木造銅板葺、唐破風造り。昭和4年(1929)に大森の弁天神社より移築した。軒下の周囲に見事な彫刻が施され、江戸後期の優れた建築として高く評価される。

立派な梅林
立派な梅林

 弘法大師一千一百年諱供養塔の横には、立派な梅の花が咲いていた。

mark羽田神社(じしょういん)
羽田神社
羽田神社
狛犬
狛犬

 隣接するもと別当の自性院の領域にあった牛頭天王社が発展して、羽田村の村社になったという。

本殿
本殿

 「社伝では、後北条氏の家臣で、羽田浦の水軍の支配者であった行方与次郎が、牛頭天王を祀ったのがはじまりといい、二代当主北条氏綱以下、氏康、氏政も深く崇敬をよせたと伝えられる。明治元年(1868)、神仏分離のとき、八雲神社として自性院から独立し、明治40年(1907)8月に羽田神社と改称した。」()

神楽殿
神楽殿
神輿
神輿

 7月最後の土・日曜日に行われる夏季大祭(羽田まつり)は、大勢の見物客が訪れる賑やかなお祭りが行われる。

境内末社 鈴納稲荷神社
境内末社 鈴納稲荷神社
境内末社 羽田稲荷神社
境内末社 羽田稲荷神社

 羽田稲荷神社は、現つばさ高校辺りにあった井上軍左衛門宅の庭内神社として祀られていたが、引越しに際し昭和55年(1980)11月、羽田神社境内末社となった。御祭神は伏見稲荷神社から分霊をいただいた。

羽田富士塚
羽田富士塚
夫婦擬宝珠
夫婦擬宝珠

 夫婦擬宝珠は、説明板によると平成23年(2011)3月11日の東北地方太平洋沖地震時、灯篭擬宝珠が倒壊の際、参道上に内側へ寄り添う様に落下した。(羽田神社の御祭神は「須佐之男命」と「稲田姫命」ご夫妻二柱をお祀りされている)

羽田富士
羽田富士

 富士塚は、富士山の信仰団体である富士講の講員たちが、その年実際に富士山に登れない者のために、富士山を模して築いた人造の小山である。
 江戸中期安永(1772-1780)のころから、この習俗が、関東を中心として各地におこった。
 俗称「羽田富士」と呼ばれるこの塚は、明治初年に築造されたもので、本区唯一の存在である。

mark羽田の渡し(はねだじんじゃ)
羽田の渡し跡(大田区側)
羽田の渡し跡(大田区側)
大師橋下の干潟
大師橋下の干潟

 古くから、羽田漁師町(大田区)と上殿町(川崎市)を渡る「羽田の渡し」が存在していたという。その昔、徳川家康が狩りに来た帰りに、お供の者と別れて一人でこの渡し場に来たところ、船頭は家康とは知らずに馬のアブミを取ったという伝説が伝わっている。

大師橋
大師橋
羽田の渡し跡(川崎市側)
羽田の渡し跡(川崎市側)

 明治頃には、人力車2台と、20~30人が乗れる大型の船が使用され、穴守方面(現、羽田空港)への早舟も就航しており、昭和14年(1939)に大師橋が完成するまで存続した。

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