九品仏~駒沢公園
(自由が丘~三軒茶屋)

自由が丘駅(東急東横線)~九品仏~駒沢公園~三軒茶屋駅(東急田園都市線)
mark九品仏浄真寺(くほんぶつじょうしんじ)
閻魔堂
閻魔堂
東門
東門

山門(仁王門) 彫刻
山門(仁王門) 彫刻
鐘楼
鐘楼

 山門(仁王門)は、寛政5年(1793)建立の銅板葺楼門で「紫雲楼」と称し、楼上に阿弥陀如来、二十五菩薩、風・雷神像を安置する。
 梵鐘は、宝永5年(1793)世田谷領深沢の谷岡又左衛門尉庸重が父母の菩提のため寄進し、神田鍛冶町の河合兵部卿藤原周徳の作で、九品の仏像を鋳出した朝鮮鐘である。播州尾上の道隆寺の鐘をまねたものという。堂屋も棒造りで欄間には十二支が彫刻してあり、北に子、商に午というように、おのおのその方角を示している。

阿形像
阿形像
吽形像
吽形像

仏足石
仏足石
内庭
内庭

 仏足石は大聖釈尊の御入滅後、仏陀礼拝の形式として、その御足に対して、接足作礼により人々は哀心慕情の誠を示した。御入滅後およそ600年、仏像が創まり、それが広範におこなわれるまでの永い年月、仏足石礼拝は重く用いられたのである。

本堂(竜護殿)
本堂(竜護殿)

 当山はひろく「九品仏」の名で親しまれているが、正式には「九品山唯在念仏院浄真寺」といい、浄土宗に属し、境内約12万㎡は往古の面影を保存する都内有数の風致地区である。開山は江戸時代初期の高僧「珂碩上人」で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年(1678)に、奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である観無量寿教の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建された。本尊に珂碩上人御自作の釈迦牟尼如来を安置し、当山第二世珂億上人代、元禄11年(1698)三仏堂ともども上棟した。世に珂億造りと称せられ、雄大荘重なる葺ぶきの大殿である。近時、往昔の面影そのままの銅板に大修築を完成した。
 本堂はまた「龍護殿」ともいわれ、浄土(彼岸)を表象する三仏堂に対比し、西面して穢土(此岸)をあらわす。

本堂(竜護殿)
本堂(竜護殿)

 珂碩上人(1617~94年)は、念仏行者として一代の高僧であるとともに、また非常に彫刻に秀でられ、その彫刻された仏像も多数におよんだ。なかでも、18歳で発願、51歳のとき完成した九躰の阿弥陀如来像(九品仏)は上人畢の結晶といわれる代表作で、未代衆生化益の尊い御仏像である。九躰とも文化財の指定を受け、上品堂(中央)・中品堂(右)・下品堂(左)の三つのお堂(三仏堂)にそれぞれ三躰ずつ安置している。
 当山独特の行事である「来迎会」は、本堂と三仏堂中央の 上品堂とのあいだに橋をかけ、阿弥陀仏と二十五菩薩が、来迎・往生・還来と3回橋を行動するものである。

三仏堂(上品堂)
三仏堂(上品堂)

 上品堂のうち、中央を上品上生仏、右を上品中生仏、左を上品下生仏とする。 中品堂、 下品堂と同様で、したがって阿弥陀さまには、上品上生から下品下生までの九つの名があり、それぞれ手の位置及び印契が異なっている。なにゆえに阿弥陀さまに九品の差別があるのか、一つには私たちの浄土教入信の過程。段階を、二つには念仏によって浄化される私たちの心の様態を示し、三つには往生人たるわれわれの機根を分類したのであって、私たちが念仏信仰に入るときの動機から、段々念仏によって身と口と意の三つが浄化されてゆき「生けらば念仏の功つもり死なば浄土にまいりなんとてもかくてもこの身には、思い患うことぞなき」という念死念仏の心境に至る道程を示したものということができる。

下品堂
下品堂
中品堂
中品堂

イチョウの落ち葉
イチョウの落ち葉

 浄真寺のイチョウは、東京都指定文化財の天然記念物に指定されている。

阿育王塔
阿育王塔
石庭と紅葉
石庭と紅葉

mark駒沢オリンピック公園(こまざわオリンピックこうえん)
オリンピック記念塔
オリンピック記念塔
ジョギング・サイクリングコース
ジョギング・サイクリングコース

 昭和39年(1964)、第18回オリンピック東京大会の第2会場となった。体育館、野内球技場、第1・2球技場、野球場、陸上競技場、プール、テニスコートなどがあり、規模は日本一といわれる。中央広場に2層の鉄筋コンクリートの東京オリンピック記念塔が建っている。

⇒ 九品仏周辺 ウォーキングマップ