港北ニュータウン建設に伴う発掘調査の出土品をはじめ、開港期までを中心とする横浜にかかわる歴史資料を収集・保管して調査研究を進め、その成果を展示・公開し、市民の教育・学術・文化の発展に寄与する目的で、平成7年(1995)に開館した。
【原始Ⅰ展示室「自然の恵みの中で生きる」】
【古代展示室「古代国家の誕生の中で」】
【近世展示室「平和の中に生きる人々」】
大塚・歳勝土遺跡は、鶴見川の支流である早淵川中流域の北岸に広がる、弥生時代中期の遺跡である。横浜市歴史博物館の野外施設「大塚・歳勝土遺跡公園」として、平成8年(1996)3月に公開された。
【大塚遺跡】
大塚遺跡跡は、昭和48年(1973~76)の発掘調査により、新旧2本の環濠で約90軒の竪穴住居跡や10棟の高床倉庫跡などを取り囲んだ弥生時代の農耕集落跡であり、土器の型式から3時期に細分され、各時期約30軒でムラを構成していたことが判明した。
Y-80号住居は、大型住居で、ムラ長の住まいで、集会所にも使われた。
Y-74号住居は中型住居で、床面積27.0㎡の八畳間2部屋にあたる。
復元高床倉庫は穀物を湿気から守るために床を高くし、出入りには梯子を使ったことが銅鐸にも描かれている。
竪穴住居跡は、再生にあたり造形保存という方法で、発掘調査時に発見された住居跡の形や質、色合いを正確に保存している。
右の写真は、以前(1999年)見学した時に、大塚・歳勝土遺跡公園の説明をしていただいたガイドさん。約1時間にわたって、分りやすい説明で、いろいろと勉強ができ、大変ありがとうございました。
【歳勝土遺跡】
歳勝土遺跡は、大塚遺跡から南東側へ80mほど離れた同じ台地の上にある。発掘調査では、縄文時代中期の集落、弥生時代後期の集落と墓地、中世の火葬墓などが発見された。
方形周溝墓は、中央に掘られた「主体部」とよばれる墓壙に、木棺に納めた遺骸を埋葬したと考えられている。また、周溝墓の溝の中に、小児を葬った壷棺が埋設されている。
【都筑民家園】
長沢家は、横浜市歴史博物館から程近い都筑郡牛久保村(現在の都筑区牛久保町)にあった旧家です。
新しい形式を取り入れられているものの、柱の一部にチョウナ仕上げが見られること、土間境の柱が大黒柱となっていないこと等の古い形式を残しているため、横浜に残っている民家ではかなり古いものです。
数寄屋風茶室で、八畳広間(輪亭)と三畳台目の小間(鶴雲菴)水屋で構成されています。
北に早淵川が流れ、東と南に谷が連なる標高35mの西から東へ張りだした約250mX150mの丘陵に、竹・雑木林が生いしげり、中世山城の遺構をよくとどめている。城跡は空堀と土塁によって6つの郭(土塁や堀で囲まれた区画)に区切られ、南から北へ3段に構成されています。
1段目は南西部の高所に西・中・東郭が横にならび、城の中枢部を形成している。
茅ヶ崎城址公園から、早渕川の茅ヶ崎橋を渡って港北ニュータウン方面へ歩いて、茅ヶ崎公園に着いた。
茅ヶ崎公園から、「せきれいの道」と呼ばれる植木の緑が美しい遊歩道を通って行くと、せせらぎ公園に入る。
せせらぎ橋を通り抜けると、スイレンが咲く大きな池に出る。
【スイレン 6月】
6月に入ると、池には紅白の睡蓮の花が満開になる。
水面に映る白スイレンが綺麗である。
池には沢山のシオカラトンボが飛び交い、小さな枝に止まる様子が見られた。
白色スイレンの奥に、赤色スイレンが咲いていた。
水面に映る赤色スイレンが綺麗である。
池の近くで、通りかかった人から、礼儀正しく餌を貰うカルガモの親子が見られた。
【古民家(旧内野家住宅)】
園内の奥に古民家(旧内野家住宅)がある。主屋と長屋門は、横浜市認定歴史的建造物になっている。(※現在、主屋内部の公開は行われていない)
長屋門は、安政6年(1859)に東京都目黒区にあった長屋門ものを、旧内野家住宅へ移築されたものです。
内野家は、もとは京都の出身で大阪夏の陣の功績により荏田に領土を与えられ、それ以降現代まで続く旧家である。港北ニュータウン事業の中で昭和55年(1980)にせせらぎ公園内に当初の形式に近い形で復元された。