散歩コース
向ヶ丘遊園駅(小田急線)~生田緑地散歩~日本民家園散歩~向ヶ丘遊園駅(小田急線) 日本民家園は昭和42年(1967)に開園した古民家を集めた野外博物館で、園内には農村舞台や船頭小屋、穀物をおさめた高倉も含めて24の民家が復元・保存されている。そのうち7棟は国重要文化財である。
園内は宿場・信越の村・関東の村・神奈川の村・東北の村などのブロックに分けられ、地域の特徴ある民家が集められている。
【宿場】
川崎市中原区小杉陣屋町に所在した大地主の主屋です。
原家の伝承によると、当住宅の建築は22年を要し、驚くほど慎重に家づくりを行ったことが伺われます。
奥州街道の宿駅、八丁目宿の旅籠(はたご=宿屋)でした。南部駒(なんぶごま)を白河(福島県)方面の競り市(せりいち)に出す馬喰(ばくろう=馬商人)や、馬を世話する馬方(うまかた)を泊めた馬宿(うまやど)で、馬は土間(どま)に、馬方は中二階に、馬喰や武士は一階の座敷に宿泊しました。
奈良の柳生街道(やぎゅうかいどう)に面した商家でした。古くは油屋を営み、のちに線香屋としてその製造販売を行っていました。
もと名古屋城の東南にあり、禄高(ろくだか)二百五十石の武家屋敷の出入口でした。主屋(おもや)は名古屋に残されたため、現在は旧三澤家住宅を主屋に見立てて配置している。
中山道(なかせんどう)から分かれる伊那(いな)街道の宿駅、伊那部宿(いなべじゅく)にありました。農業を主とし、代々組頭(くみがしら)をつとめてきましたが、江戸時代の末に製薬・売薬業を始めて成功しました。
【信越の村】
水車は使用目的によって二種類に分類できます。ひとつは灌漑(かんがい)などで水を上げるのにつかうもの、もうひとつは動力として用いるものです。
名主(なぬし)の家で、長大で軒(のき)が高く、中二階の採光のために屋根の東側を「かぶと造」としています。こうした外観の特色のほか、普請帳(ふしんちょう)や記録によって家の歴史がわかる点で重要な民家です。
江向家住宅は向家住宅名主(なぬし)の家で、長大で軒(のき)が高く、中二階の採光のために屋根の東側を「かぶと造」としています。
山田家住宅の住宅があった桂集落は、秘境といわれた五箇山でも特に辺境にありました。桂に一番近い集落は国境を越えた加須良(飛騨)でした。
「越中五箇山」とは、庄川本・支流域の五つの谷(赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷)を中心とした地域の総称です。
山下家住宅は川崎駅前で観光料亭に利用されていたものを、民家園に再移築したものです。
【関東の村】
イワシ漁で栄えた九十九里にありました。漁具小屋は海岸近くにあり、この家そのものは内陸に立地していたため、漁村の家の雰囲気はありません。 外観は二棟が軒を接しているように見えます。
高倉といえば東大寺の正倉院校倉(あぜくら)が有名ですが、沖縄・奄美諸島、九州南端、八丈島など黒潮の流れに沿った地域には、柱の上に茅葺屋根をのせた高倉が分布しています。
甲府盆地の民家は切妻造(きりづまづくり)の妻壁(つまかべ)に柱を見せ、屋根中央を「突き上げ二階」とする形式が知られています。この家も移築前はそのような姿でしたが、調査の結果、当初は二階がなかったことがわかりました。
二棟が軒を接して建つ、分棟型(ぶんとうがた)の民家です。大戸口(おおどぐち)を入ると広い空間がひろがっています。ドマの右手がウマヤ、左手が主屋(おもや)です。
【神奈川の村】
特筆されるのは、建築年代がはっきりしていることです。加えて、建築としても非常に優れており、日本で最も重要な民家の一つといえます。建築年代は、柱の先端に墨(すみ)で記されていました。
清宮家住宅の屋根は頂上を土の重さで押さえ、その土が落ちないよう草花が植えてあります。
伊藤家住宅の土間(どま)はミソベヤとダイドコロに分かれています。
蚕影山祠堂は蚕影山祠堂川崎市麻生区の東光院境内にあったもので、養蚕(ようさん)の神「蚕影山大権現(こかげさんだいごんげん)」を祭った宮殿(くうでん)と、その覆堂(さやどう)から成っています。
岩澤家住宅は名主(なぬし)もつとめた農家の家でした。
【東北の村】
湯殿山麓の田麦俣(たむぎまた)集落やその周辺には、ハッポウ造と呼ばれる独特の民家が分布しています。
主屋(おもや)の前に馬屋(うまや)を突出させたL字型の民家は、旧南部藩領(なんぶはんりょう、岩手県)に多いことから「南部の曲屋(まがりや)」として知られています。
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