九州一周旅行
(指宿・武家屋敷庭園・桜島)

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観光コース

仙厳園(磯庭園)指宿~池田湖~知覧の武家屋敷庭園~特攻平和観音堂~桜島宮崎神宮

mark指宿(いぶすき)

 「指宿白水館は客室205室の大きな情緒ある旅館である。砂むし温泉、江戸時代の風呂を再現した元禄風呂、ギャラリー(白水・薩摩・三彩)など施設面、そして薩摩の歴史を知る上でとても優れている旅館である。夕食のお膳には「指宿のソラマメ、オクラ」、「錦江湾のキビナゴ」、「鹿屋の鹿児島黒豚」など地元の名産品の料理が並べられていた。」()

指宿白水館
指宿白水館
中国民族器楽三重奏
中国民族器楽三重奏

 夕食後、玄関ロビーでは、中国民族器楽三重奏「胡弓の調べ」の演奏があり、集まった宿泊者は「ふるさと」「旅愁」「荒城の月」など懐かしい歌の数々に聞き惚れていた。翌日、指宿白水館から国道226号に戻り山川町に向かって走って間もなく、円錐形の美しい開聞岳(薩摩富士)が正面に見えてくる。標高922mの開聞岳は、薩摩富士とよばれ薩摩半島最高峰である。コニーデ型火山であるが、8合目以上はトロイデ型で、トロコニーデ型火山という。古来開聞岳は、琉球・奄美への南海航路の道標であり、第二次世界大戦中知覧飛行場からとびたった特攻機の目印である。また、山岳信仰の霊山で山伏の修行の道場でもあった。大正4年(1915)以来火山活動は停止状態である。

mark開聞岳(かいもんだけ)
国道226号からの開聞岳
国道226号からの開聞岳

 開聞から池田湖へ向い、池田湖畔にある池田湖パラダイスで休憩。ここの売店の一番奥で、大ウナギ数匹の姿を水槽の中に見ることが出来た。菜の花はまだ満開とはいかないが、池田湖と開聞岳をバックに早咲きの菜の花の景観が良い。

池田湖パラダイス
池田湖パラダイス
大ウナギ
大ウナギ(体長1.3m、体重17kg、胴回り20cm)

 池田湖は、周囲15km・面積11k㎡の九州最大の湖である。火山の陥没によるほぼ円形に近いカルデラ湖で、水面下42mに湖底火山丘がある。豊富な水量を利用した潅漑用水路の開削が行われ、一帯の畑作地域に利用されている。

早咲きの菜の花
早咲きの菜の花

 湖中には体長1mをこす大ウナギが生息している。古くから神竜伝説があり、『三国名勝図会』にも竜王についての池王明神の故事が記載されている。

mark武家屋敷庭園(ぶけやしきていえん)

 亀甲城跡近くの駐車場に車を止める。武家屋敷群の7庭園は「国名勝」に指定されている。森重庭園は築山泉水式庭園で、他の6庭園は枯山水式庭園である。小路の両側には立派な武家屋敷が続き、赤色に苔むした石垣には長い歴史を感じさせてくれる景観である。

森重堅氏邸庭園
森重堅氏邸庭園
旧高城家住宅
旧高城家住宅

日本の道100選「武家屋敷群」の景観
日本の道100選「武家屋敷群」の景観(国名勝)(公園・庭園)

 「知覧麓は、切石や玉石を積みあげた石垣に、イヌマキの大刈込み、瓦葺きの切妻造の武家門、ゆるやかにカーブした馬場など、旧麓の景観がよく残っている。なかには、知覧型二ツ家民家も移築されている。オモテ(客間)とナカエ(母屋)を連結した建物で、知覧独特の民家である。現在、武家屋敷地区では、唯一築山池泉式庭園の森重堅邸庭園を含めた7つの知覧麓庭園が公開されている。」()

佐多民子氏邸庭園
佐多民子氏邸庭園
佐多直忠氏邸庭園
佐多直忠氏邸庭園

 佐多民子氏邸庭園は、巨石奇岩を積み重ねた深山幽谷の景をうつしだし、小舟に乗って石橋の下を潜って行くと、仙人が岩の上から手招きしているようだ。佐多直忠氏邸庭園は、門をくぐると切石の目隠しにつき当る。屏風岩とも呼び、防衛を兼ねた造りで江戸時代中期の武家屋敷の風格を備えている。

平山亮一氏邸庭園
平山亮一氏邸庭園
佐多美舟氏邸庭園
佐多美舟氏邸庭園

 平山亮一氏邸庭園は、石組みの一つもない大刈込み一式の庭園である。イヌマキによる延々たる遠山は、その中に三つの高い峯を見せ、前面にはサツキの大刈込みが築山のようである。佐多美舟氏邸庭園は、寛延4年(1751)年に造られたものといわれ、知覧庭園の中では最も、豪華で広い庭園である。枯滝を造り、築山の上部に石灯、下部の平地には、各所に巨岩による石組を設けている。

西郷恵一郎氏邸庭園
西郷恵一郎氏邸庭園
平山克己氏邸庭園
平山克己氏邸庭園

 西郷恵一郎氏邸庭園は、庭の南東部の隅に枯滝の石組みを設けて高い峯とし、この峯から低く高く刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現している。平山克己氏邸庭園は、母ケ岳の優雅な姿をとり入れた借景園である。北側の隅には石組みを設けて主峯となし、イヌマキの生垣は母ケ岳の分脈をかたどっている。

mark知覧特攻平和観音堂(ちらんとっこうへいわかんのんどう)

 知覧町には映画「ほたる」の舞台ともなった、悲しい特攻隊烈士の永遠のご冥福をお祈りする特攻平和観音堂 や平和を願う特攻遺品館、三角兵舎などが残っている。

特攻銅像「とこしえに」
特攻銅像「とこしえに」
母の像
母の像

 「沖縄に近い知覧飛行場は、軍の命令により木佐貫原台地にあった鹿児島県茶業試験場跡地に、昭和16年(1941)に建設された。福岡県太刀洗町に設置されていた太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所として発足したが、戦局悪化に伴い最前線の特攻基地となった。昭和20年(1945)4月より、17歳から22歳までの若者が、500kgkgをかかえ片道だけの燃料でとびたった。特攻銅像「とこしえに」は昭和49年(1974)に建立された。」()

戦闘機
戦闘機
信州木曽路妻籠宿 藤原長司之歌碑
信州木曽路妻籠宿 藤原長司之歌碑

 信州木曽路妻籠宿 藤原長司之歌碑
  手を振りて 知覧翔び征く特攻機 君の笑顔に昭和責めらるる

お参りが絶えない特攻平和観音堂
お参りが絶えない特攻平和観音堂

 「昭和20年(1945)第二次大戦末期世に云う特攻作戦が展開せられた。この地は本土最南端の特攻基地となり数多くの隊員が祖国必勝の信念のもとに壮途につかれた思い出深い地である。これらの若き勇士の霊をとこしえに安らからんことを祈念して特攻観音を建立し1036柱の特攻隊員の芳名を謹記して胎内に奉納した。毎年5月3日には全国より生存者や遺族等多数が訪れ盛大厳粛な慰霊祭が行われている。」()

朝鮮半島出身の特攻勇士11名
朝鮮半島出身の特攻勇士11名のみ霊をお慰めするための歌碑
知覧特攻平和会館
知覧特攻平和会館

 アリランの 歌声とほく 母の国 念ひ残して 散し花花

千羽鶴
三角兵舎
千羽鶴
千羽鶴

 三角兵舎は、特攻隊の宿舎でありました。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、地上には三角の屋根しか見えない兵舎でした。各地から集まった隊員は二、三日後には雲のかなた沖縄の空に散華されました。出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を汲みかわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙をしたためて、死地に赴いたのである。

mark桜島(さくらじま)

 鹿児島港から桜島フェリーに乗る。乗船する車やお客は地元の方がほとんどで、桜島を訪れる観光客は少なかった。今日は冬晴れの天気で、桜島が目の前によく見え、そして船上に出ていても全く寒くない陽気である。前回訪れた時には小爆発で噴煙を多少かぶったが、今回は全くなく、また桜島の中を走る道路も随分と奇麗と思われた。

冬晴れの桜島(桜島港近く)
冬晴れの桜島(桜島港近く)

 「桜島は周囲52km・面積80k㎡である。山は北岳(標高1117m)・中岳(同1060m)・南岳(同1040m)からなる火山島である。大正噴火(1914~15)は、大正3年(1914)1月13日、南島西側の引の平沢から漁出した溶岩が18日に小池・横山・赤水の集落を塊めつくし、海中の鳥島を飲み込んだ。南岳東部の鍋山から流出した溶岩は、30日ごろまでに黒神・瀬戸集落を埋没して、瀬戸海峡を塩めつくし、大隅半島と陸続きになったむ流出した溶岩は22億tと推定されている。」()

有村展望台
有村展望台
退避壕
退避壕

 有村展望台は約10万m3の広大な溶岩原で、散歩が楽しめる。展望台からは活動を続ける南岳を間近に見ることができる。また、霧島・開聞岳の眺めや市街地の夜景が美しい。火山の爆発から住民の安全を守るために、昭和48年度(1973)から、退避壕、退避舎、避難道路、避難港などの避難施設の整備が行われた。その結果、現在は桜島島内に、退避壕32基、退避舎21棟、避難港20港、ヘリポート1ヶ所が設置されている。

宮浦神社と夫婦銀杏
宮浦神社と夫婦銀杏

 宮浦神社は、紀元前神武天皇未だ皇太子の御砌大和への御遷都の大事業御推進に当たり当地に御駐輦、御船出遊された御霊蹟に御社殿造営の由来がある。本殿前に神武天皇のお手植え御神木の「夫婦銀杏」と称される2本の大銀杏が南北に分かれて立つ、樹齢はともに1,000年を数えるといわれる。

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