観光コース
草加駅(東武伊勢崎線)~草加市立歴史民俗資料館~東福寺~草加松原~草加駅(東武伊勢崎線)郷土の歴史資料や民俗資料などを収集、保管、展示することによって、教育・学術・文化の発展に寄与するため、昭和58年(1983)11月1日に開設した。
館内には、農具、神楽などの民俗資料、土器、板碑などの歴史資料が展示、保管されている。いずれも私たちの祖先が、長い歴史の中でつくり、はぐくみ、そして伝え残してくれた文化財である。
東福寺は、草加宿を開宿した大川図書が開基、僧賢宥が開山となり慶長11年(1606)に創建した。
芭蕉は伝統的な連歌から派生し、詠み捨ての座興であった「俳諧」が、独立した文芸として確立した江戸時代前期。俳諧師として身を立てるべく、ひとりの男が故郷の伊賀上野をあとにした。後世「俳聖」とうたわれた芭蕉である。
草加宿は水運を盛んである。江戸時代に綾瀬川を利用した舟運に使われていた札場河岸が、現在、公園として復元整備されている。園内には「おくのほそ道」旅立ち300年記念として建てられた松尾芭蕉や松岡子規句碑もみられ、春には花見の名所として知られている。
正岡子規句碑
梅を見て 野を見て行きぬ 草加まで
旧日光街道の綾瀬川沿い約1.5Kmにわたる松並木。江戸前~中期頃に植えられた日光街道の名所である。松並木の長さは参勤交代の大名行列の長さを基準にしたもの。松並木の中に「おくのほそ道」の冒頭の文章にちなんだ太鼓橋風の「矢立橋」と「百代橋」がある。矢立橋は長さ96.3m、平成6年(1994)に完成した。
百代橋は長さ62.5m、昭和61年(1986)に完成した。
「草加近辺は昔から米どころで、保存食としてつくられていた。かた餅が塩せんべいとして宿場で売られていた。江戸時代後期に醤油が普及すると、焼きせんべいに醤油を塗るようになり、現在の草加せんべいの販売店や製造所は60軒以上に及ぶ。おせん公園にある「草加せんべい発祥の地」碑。せんべいを焼く際に使う「火箸」とせんべいをかたどっている。」(※)
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