松尾芭蕉

週末ウォーキング / 人物一覧(ゆかりの地)

ゆかりの地

芭蕉記念館分館史跡展望庭園 芭蕉翁の像
深川 芭蕉記念館分館史跡展望庭園 芭蕉翁の像(撮影 2001.4.8)

 寛永12年(1672)、江戸日本橋を拠点に俳諧活動に入った松尾芭蕉は、句会の興行や選集の出版などの実績を積み重ね、江戸屈指の人気宗匠となる。自然への回帰を説く『荘子』や、『本来無一物』を根本精神とする禅へ傾倒した芭蕉は、西行法師や能因など旅を重ねた歌人・文人たちへの思慕の念を強めていく。

【奥の細道】

奥の細道矢立初の碑
奥の細道矢立初の碑
千住
千住宿と芭蕉像
(撮影 2021.6.5)

 芭蕉句碑「行春や 鳥啼き魚の 目は泪」(矢立初・千住)
 大橋公園にある矢立初の碑は龍岩で薄茶色の自然石に、黒御影石を表、裏にはめこんだものである。表には「ほそ道」の抜粋、裏には解説文が刻まれている。

 千住宿は、 寛永2年(1625)に日光・奥州道中の初宿と定められ、明暦年間に宿場の体裁が整えられた。千住の宿は、一般には隅田川北岸の八ヶ町をいうが、隅田川南岸の中塚原町・中村町までを含んでいた。

芭蕉像
草加松原 芭蕉像
(撮影 2007.4.29)
奥の細道 記念碑
奥の細道 記念碑

 草加宿は水運を盛んである。江戸時代に綾瀬川を利用した舟運に使われていた札場河岸が、現在、公園として復元整備されている。園内には「おくのほそ道」旅立ち300年記念として建てられた芭蕉や松岡子規句碑もみられ、春には花見の名所として知られている。

東陽寺
春日部 東陽寺
(撮影 2007.5.3)
伝芭蕉宿泊の寺
伝芭蕉宿泊の寺

 山門脇には「おくのほそ道」の旅の第1日目の宿泊地と伝えられた「伝芭蕉宿泊の寺」の標柱がある。芭蕉が粕壁宿に泊まった事は、現在の研究では一致している。しかし粕壁宿のどこに宿泊したかは、正確な資料がなく不明だが、東陽寺には芭蕉が宿泊したという代々の住職の口伝えがある。

日光東照宮
日光東照宮
(撮影 2007.6.17)
旧奥社鳥居と芭蕉句碑
旧奥社鳥居と芭蕉句碑

 句碑「あなたふと 青葉若葉の 日の光」(日光)
 取り壊された石造りの門と鳥居(元、奥社の鋳抜門・鳥居)は、奥社の山中に埋められていたが、昭和42年(1967)にそれらを発掘、現在は東照宮宝物館の脇に復元されている手前には、松尾芭蕉句碑がある。

史跡 殺生石
那須 殺生石
(撮影 2010.10.11)
芭蕉句碑
芭蕉句碑

 芭蕉句碑「石の香や 夏草赤く 露あつし」(那須 殺生石)
 芭蕉は、毒気いまだ滅びない殺生石を見て一句詠んだ。芭蕉は殺生石への途中、那須与一ゆかりの那須温泉神社に立ち寄っている。

蕉句碑
蕉句碑

 芭蕉句碑「あかあかと 日はつれなくも 秋の風
 榴ヶ岡天満宮は、芭蕉曾良も参詣した学問の神様・菅原道真を祭神とする古社。杉木立に囲まれた総欅造の社殿は風格があり、境内には俳諧碑林と呼ばれる句碑が多く建てられている。

鐘島松島 仁王島(撮影 2006.11.3)

芭蕉句碑
高館義経堂 芭蕉句碑
(撮影 2006.11.4)
源義経主従供養塔
源義経主従供養塔

 芭蕉句碑「夏草や 兵どもが 夢の跡」(平泉)
 芭蕉は、人の世の無常運命に思いをはせ、日本文学史上最高傑作といわれる次の句を生みだした。この高館から眺める北上川、束稲山や衣川古戦場の風情は、今も旅人の心を感傷的にさせ、時の経つのを忘れされてくれるだろう。

芭蕉句碑(秘蔵館前)
芭蕉句碑(秘蔵館前)

 芭蕉句碑「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」(立石寺)
 芭蕉は山寺でどのような蝉の声を聴いたのだろうか。山寺の岩質は、火山灰や軽石を含む細かい礫からできている。まして、あちこちの岩には岩には穴が開いている。

芭蕉句碑(鳥海山・・・)
芭蕉句碑

 芭蕉句碑「暑き日を 海に入たる 最上川」(秋田)
 芭蕉句碑「あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ」(秋田)
 鶴岡よりも俳諧が盛んな酒田で芭蕉は、地元の人々から温かいもてなしを受け、句会を催した。酒田の浦役人の1人、寺島彦助宅の安種亭で句会が開かれた。

芭蕉句碑
象潟・蚶満寺芭蕉句碑
(撮影 2011.6.25)
西施像
西施像

 芭蕉句碑「象潟や 雨に西施せいしが ねぶの花」(象潟)
 元禄2年(1689)にこの地を訪れた芭蕉は、象潟の畔に咲くネムの花が雨に濡れそぼった情景を、中国春秋時代の美女西施にたとえて、句を詠んでいる。

蛤の ふたみに別れ 行秋ぞ(蛤塚・大垣)
大垣 芭蕉句碑
(撮影 2007.5.12)
伊勢へ旅立つ芭蕉と芭蕉を見送る木因の像
伊勢へ旅立つ芭蕉と芭蕉を見送る木因の像

 芭蕉句碑「蛤の ふたみに別れ 行秋ぞ」(大垣)
 大垣の門弟如行の家入った。名古屋の門弟越人をはじめ、親しい人々が次々に駆けつける。伊勢から曾良もやってきて、一同、あの世から生き返った者にでも会うかのように再会を喜び合った。ところが、到着からわずか2週間後の9月6日、芭蕉は伊勢神宮の遷宮式を拝むため、曾良とともに水門川から舟に乗り、大垣をあとにする。別れに際し、芭蕉は伊勢の「二見ケ浦」と、二見の名産である蛤の「蓋と身」をかけた句を詠んだ。秋も去ろうとしている時節、人々との名残を惜しみつつ、芭蕉は次なる旅へ向かっていったのである。


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