観光コース
仙台駅~松島海岸駅~松島・瑞厳寺・円通院~仙台駅「遊覧船に乗り湾内や嵯峨渓の島々を違った角度から眺めてみたい。長年にわたり風波の浸食を受け、四つの空洞があいた鐘島や、今にも首が転げおちそうなユーモラスな形の仁王島など、ひとつひとつ名前がつけられた島々を眺めていると飽きることなはない。この多彩な景観を巡るさまざまなコースに遊覧船が運航されている。宮島、天橋立と並んで日本三景の一つなっている。」(※)
五大堂は海岸と目と鼻の先の小島にたち、朱塗りの橋で結ばれている。橋は床板が交互に抜けており、下が透けて見えることから「透かし橋」と呼ばれている。五大堂への参詣には身も心も乱れの無いよう、脚下をよく見て気を引き締めさせるためといわれている。
「瑞巌寺は、天長5年(828)に円仁(慈覚大師)が淳和天皇の詔勅により、比叡山の日吉山王権現(滋賀県大津市)の神輿を奉じて創建した天台宗寺院、延福寺に始まる。芭蕉が慕う見仏上人が松島に来たのは、長治元年(1104)。見仏上人は修行の島・雄島から一歩も外に出ずひたすら法華経を読誦。その法力は遠く京都にまで聞こえたという。総門から一直線に続く参道は杉木立に囲まれ、静寂で厳粛な趣きがある。本堂を後ろにすると左手に庫裡が見える。」(※)
「伊達忠宗は、正保3年に次男光宗の御霊屋の三慧殿を造営。堂内の逗子には白馬に跨り、衣冠束帯姿の光宗像が安置されている。本堂は大悲亭とも呼ばれる寄棟造り茅葺きの建物。仙台藩二代藩主伊達忠宗が次男光宗の死を悼み、建立したもの。境内には小堀遠州作の庭園もある。」(※)
青葉山の麓には、伊達政宗の霊屋(廟所)である瑞鳳殿が建つ。仙台藩二代藩主の忠宗が、父政宗が死んだ翌寛永14年(1637)に造営した。太平洋戦争で焼失し、再建される際に跡地の発掘調査が行われ、政宗の遺骨や副葬品が出土。遺物は瑞鳳殿資料館に展示されている。
「米沢藩主伊達輝宗の第1子として生まれる。天正12年(1584)、18歳の若さで仙台藩初代藩主となった伊達政宗だった。奥州制覇への意欲をあらわにし、米沢城(山形県米沢市)を拠点に四方で領土拡張の戦いを続け、主導権を獲得する。だが、中央では、天下統一事業を進める豊臣秀吉が覇権を握ろうとしていた。」(※)
青葉山に築かれた仙台城(青葉城)は、廃城になっていた千代城の跡に政宗が築いた。その際、「千代」の名を「仙台」にあらためる。江戸期の櫓や城門などの建造物は現存しないが、石垣や堀の遺構が往時をしのばせる。大手門跡には、昭和42年(1967)、隅櫓が復元された。
ずんだ餅は、枝豆をすりつぶして砂糖・塩を混ぜた餡で餅をくるむ、ずんだ餅を考案したのは政宗が城下に建てた味噌蔵が発祥とされる。
榴ヶ岡天満宮は、松尾芭蕉と曾良も参詣した学問の神様・菅原道真seijika.html#01を祭神とする古社。杉木立に囲まれた総欅造の社殿は風格があり、境内には俳諧碑林と呼ばれる句碑が多く建てられている。
松尾蕉句碑
「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」は、俳人雲裡坊が寛保3年(1743)に建立した。
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