観光コース
山寺駅(JR仙山線)~立石寺~山寺駅(JR仙山線)山寺立石寺は、貞観2年(860)円仁(慈覚大師)によって開基された天台宗の道場である。麓から見ると不思議な形に穴が開いた風化石がいくつもある。山門から石段を登るごとに功徳を積めるというが、壮観な男の足でも奥の院までに30分はかかる。
「立石寺は山岳仏教の古刹であることから山寺といわれる。根本中堂は一山の中心となる本堂。延文元年(1356)に再建された入母屋造五間四間の建物で、ブナ材の建築物では日本最古といわれている。円仁(慈覚大師)作と伝えられる本尊の薬師如来坐像などが安置されている。堂内には、開山の時に比叡山延暦寺から分灯された「不滅の法燈」がある。日枝神社は貞願2年(860)、慈覚大師の開山にあたり、釈迦・薬師・阿弥陀三尊を安置し、守護神とした。江戸時代までは山王権現といわれ、明治維新で村社となって、大山咋尊を祭神としており、5月17日に祭礼がおこなわれる。」(※)
芭蕉句碑「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」(立石寺)
芭蕉は山寺でどのような蝉の声を聴いたのだろうか。山寺の岩質は、火山灰や軽石を含む細かい礫からできている。まして、あちこちの岩には岩には穴が開いている。
「東西南北の人」「旅に倦(う)むことなき質」などと評された曾良は、芭蕉同様、無類の旅好きだった。『随行日記』以外にも、奥羽や三陸、近畿行脚を記した『曾良旅日記』、土浦への道行きを記した『道の記』など残した。
「関北霊窟」の扁額を揚げた山門がある。ここが奥の院への参道の入り口。入山料を払い、第一歩を踏み出す。杉木立に囲まれた石段を登り始めて5分ほどで、右手に姥堂、左手に笠岩がある。ここまでは地獄で、ここから先が極楽という浄土口に当たるという。
弥陀洞は、ながい歳月の風雨が直立した岩をけずり、阿弥陀如来の姿をつくり出した。一丈六尺(約4.8m)の姿から丈六の阿弥陀ともいい、仏のお姿に見ることができる人には、幸福がおとずれるという。
山の中腹に建立された門。幕末の再建。すぐ下の弥陀洞付近から見上げると美しい。奥の院は正式には「如法堂」と呼ばれる、毎日法華経を写経する道場。全国から奥の参詣者が訪れている。
三重小塔は、華蔵院右側の岩の祠に高さ2.4mの三重の塔が収められている。永正16年(1519)室町時代の制作といわれる。全国で一番小さい三重の塔として有名である。
仁王門から道を左に行くと、慈覚大師の木像が安置されている開山堂がある。開山堂の左側の百丈岩頂上には、写経を納める納経堂が建ち、その真下に慈覚大師の遺骸が納められている入定窟がある。
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山寺駅(JR仙山線)~立石寺~山寺駅(JR仙山線)