散歩コース
三ノ輪駅(地下鉄日比谷線)~素盞雄神社~胡録神社~千住大橋~橋戸稲荷神社~千住宿~河原町稲荷神社~安養院~北千住駅(地下鉄日比谷線)日光街道側と南側の路地に面して、2つの鳥居が立つ。
創建は延暦15年(795)と伝えられる荊石信仰(石神信仰)の神社で、別名を牛頭天王ということから、通称「お天王さま」と親しまれている。
社殿左側には珍しい「親子の獅子」の狛犬である。
毎年6月には、悪疫退散・除災招福・郷土繁栄を願って天王祭が開催され、町内神輿や露店商出店など多くの人で賑いみせる。
大銀杏は、『江戸名所図会』にも描かれており、幹の周囲約3.3m、高さ30mである。この木の皮を煎じて飲むと、乳の出が良くなるという伝承を持つことから、絵馬を奉納祈願する習わしがあり、現在も続いている。
元禄2年(1689)3月27日松尾芭蕉が「奥の細道」への門出にあたり、千住で別れを惜しんだことを記念して、境内には文政3年(1820)建立された「奥の細道矢立初めの句碑」が残されている。
瑞光石は同社の縁起によると、遠祖の黒珍がその住居の東方小高いところに連夜奇光を発する奇岩を認めた。日夜礼拝するうちにある夜二人の老翁があらわれ、われは素蓋雄大神、飛鳥大神と告げたという。霊石が瑞光を発したので「神影面瑞光荊石」と言われている。
素盞雄神社の御祭神は素盞雄大神と飛鳥大神で、江戸時代には飛鳥社小塚原天王宮とも呼ばれていた。
高野胡録神社は旧高野村に鎮座する小さな神社で、鳥居に「ジャカザリ」という竜の注連縄が巻きつけてられている。
文禄3年(1594)に普請奉行伊奈忠次(1550~1610)によってかけられたもので、隅田川にかかる橋の中で最も古いものである。千住大橋をわたった所で、国道4号線は左にやや曲がって北上するが、それと分かれてほぼ平行している道が旧日光・奥州道中である。
千住大橋(足立区側)には、与謝蕪村筆「奥の細道図屏風」、葛飾北斎や初代広重が描いた千住の宿の図などが護岸壁に描かれている。
芭蕉句碑「行春や 鳥啼き魚の 目は泪」(矢立初・千住)
大橋公園にある矢立初の碑は龍岩で薄茶色の自然石に、黒御影石を表、裏にはめこんだものである。表には「ほそ道」の抜粋、裏には解説文が刻まれている。
大橋公園の少し西に、千住宿の船着場橋戸町の鎮守社である橋戸稲荷神社がある。
土蔵造の観音開きの扉の裏側に、幕末から明治にかけての鏝絵(しっくい塗りの絵)の名工といわれた伊豆長人男狐と母子狐の作品は非公開である。(本殿扉の公開日に拝見できる)
拝殿扉横には、複製品の鏝絵が置かれている。
「千住宿は、 寛永2年(1625)に日光・奥州道中の初宿と定められ、明暦年間に宿場の体裁が整えられた。千住の宿は、一般には隅田川北岸の八ヶ町をいうが、隅田川南岸の中塚原町・中村町までを含んでいた。
千住宿は、東海道の品川宿・中山道の板橋宿・甲州街道の内藤新宿と並んで、江戸四宿と呼ばれた。」(※)
芭蕉句碑
「街薄暑 奥の細道 ここよりす」
河原町は江戸時代以来、青果市場(やっちゃ場)の開かれた場所である。現在は、千住大橋北詰め東が側に中央卸梅市場(足立市場)がある。
千住宿歴史プチテラスは、江戸時代末期に建設された土蔵が解体・移築され場所で、奥行きの長い屋根が目立つだけに、地元では「昔ながらの街並みにマッチする。区内外の人が利用できるスペースに」と胸をふくらませている。
狛犬は足立区内最大と言われる。
河原町には天正4年(1576)より当地にやっちゃば(青物市場)形成され、当社はこのやっちゃばの守護神として崇敬されてきたことから、創建はこの市場形成の頃と推測される。
山門は文政11年(1828)の建造である。寺伝によると、元宿(千住元町)に創建されたのは文永年間(1264~)とあり、歴史の古さを誇っている。後に、慶長3年(1589)火災にて焼失、後現在地に移ったという。
芭蕉句碑
「行春や 鳥啼魚の 目は泪」
山門を入って右手に三体の地蔵尊がある。「かんかん地蔵尊」は、手前の小石でカンカンと叩きながらお祈りをするとご利益があると言われている。
散歩コース
三ノ輪駅(地下鉄日比谷線)~素盞雄神社~胡録神社~千住大橋~橋戸稲荷神社~千住宿~河原町稲荷神社~安養院~北千住駅(地下鉄日比谷線)