散歩コース
芝浦ふ頭駅(ゆりかもめ)~レインボーブリッジ遊歩道~天王洲アイル~品川宿~品川神社~東海寺~目黒川~中目黒駅(東急田東横線) レインボーブリッジは二重構造の複合交通施設のつり橋で、下層は遊歩道、臨海道路、新交通ゆりかもめの軌道が走り、上層は首都高速11号台場線が通っている。
東京港の新しいシンボルとして、また開発が進む臨海副都心を結ぶ架け橋として、平成5年(1993)8月にオープンした。レインボーブリッジ・遊歩道からは、東京タワーや東京スカイツリー、そして青い海に浮かぶ客船や臨海副都心の景観は素晴らしい。
高浜運河の護岸は、歩行者と自動車が分離されて、安全で快適なジョギングコースとして親しまれている。
昭和61年(1986)東品川2丁目の開発計画が策定され、平成4年(1992)にはシーフォートスクエアのオープンに伴い、東京モノレールの天王洲駅ができ、高層オフィスビルが次々と建設された。さらに、平成13年(2001)には東京臨海高速鉄道りんかい線の天王洲アイル駅ができるなど、都心への交通利便性が高い。高層ビルの高層階からは、天気の良い日には富士山の夕景が望める。
T.Y.HARBOR BREWERY RESTAURANTは、運河沿いの倉庫を改築したビール醸造所を併設しているレストラン。味わい豊なクラフトビールとアメリカ人シェフによる本格モダンアメリカン料理が楽しめる。
天王洲ふれあい橋の鉄橋を渡ると天王洲アイルの高層オフィスビル、タワーマンションが立ち並ぶ。
ボードウォークの護岸は、旧第四台場の石垣が使われている。
「東海道一番目の宿場品川宿は、日本橋から2里、目黒川の河口に位置していた。品川宿は目黒川を境として北本宿と南本宿の2宿からなっていたが、江戸寄りに新町ができ、享保7年(1722)に年間1万2000人の歩行人足を出すことを条件として新しい営業が認められた。こうして品川宿は、北から歩行新宿・北本宿・南本宿の3宿からなることとなった。現在、本陣跡地は公園となり、明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際の行在所となたことに因み、聖蹟公園と命名されている。」(※)
新聞少年像は、昭和24年(1949)に二宮尊徳像が建立されたが、昭和42年(1967)に石井鐵太郎によって、現在の子ども達が親しみやすい像ということで改めて新聞少年の像が贈られた。
石井鐵太郎は、常に住民の福祉増進と社会福祉の向上に尽し、昭和50年(1975)に社会福祉功労を顕彰し名誉区民となった。
品川神社の階段下、神社への上り口に石造の双龍鳥居がある。明神鳥居で、二本の柱にそれぞれ昇龍(左)・降龍(右)の巻きついた姿の彫刻を施したもので、彫刻はなかなか見事である。東京三鳥居(高円寺内稲荷社、馬橋稲荷神社)の一つといわれている。
富士塚は、富士信仰の集団、富士講の人々が富士山の遙拝場所として、あるいは実際に富士山への登山ができない講員のために造った築山である。品川神社の富士塚は、明治2年(1869)北品川宿の丸嘉講社の講中300人によって造られた。
社殿前の石造鳥居は東海寺造営奉行であった佐倉藩主堀田加賀守正盛が慶安元年(1648)に寄進したものである。上野東照宮の石造明神鳥居に次いで都内2番目の古さをもつという。
「由緒は、今からおよそ800年程前の平安時代末期の文治3年(1187)に、初代将軍源頼朝が安房国の洲崎明神(現、千葉市館山市鎮座 洲崎神社)の天比理乃命を当地にお迎えして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とする。やがて、鎌倉時代末期の元応元年(1319)に二階堂道蘊が、宇賀之売命(お稲荷様)を、さらに室町時代中期の文明10年(1478)に、太田道灌が、素盞鳴尊(天王様)をそれぞれお祀りした。東京十社の一つである。」(※)
明治に入り、明治元年(1868)11月には明治天皇が、新都・東京の安寧と国家の繁栄を御祈願されるために当社を含んだ都内の十の神社と定められ、御勅使が御参拝になられ御祈願をされた。大東亜戦争の折は、当社は幸いにして戦火を免れたが、社殿の老朽化が進み、昭和39年(1964)氏子各位のご協力により現在の社殿が再建された。
「寛永14年(1637)沢庵和尚が三代将軍徳川家光から、寺領500石、境内地4万7000坪を賜って、翌年開いた寺院である。幕府の手厚い保護をうけ、寛永寺・増上寺と並び称された巨刹であったが、明治4年(1871)寺域は官有地となり、諸堂塔は取り壊されたり、火災にあって旧観を失ってしまった。
山門をくぐると右側に古学殿(仏殿)、その手前に鐘楼、左側に庫裡がある。仏殿は昭和5年(1930) の建築、小規模ではあるが本格的な禅宗建築である。正面入口の上に「世尊殿」と記した木額をかけている。」(※)
本鐘は元禄5年(1692)住持天倫宗忽が撰文し、名工といわれた幕府の御用鋳物師である椎名伊予良寛によって造られたものである。
日本における近代ガラス工業発展のもとになったのは、明治6年(1873)に東海寺境内に創建された興業社である。興業社は、明治9年(1876)に工部省に買収されて官営品川硝子製作所となり、全国のガラス工業の発展に貢献した。明治18年(1885)には西村勝三らに払い下げられて民間経営となったが、経営不振のため、明治25年(1892)に解散した。
沢庵は、江戸時代初期に活躍した禅僧で、名は宗彭、沢庵は道号。但馬国出石(現、兵庫県豊岡市)に生まれ、幼少のころ出家して禅を学び、各地を修行して信望を集め、慶長14年(1609)大徳寺の一五三世住持となった。
賀茂真淵は、元禄10年(1697)遠江国敷智郡浜松庄伊庭村(現、浜松市)に岡部政信の三男として生まれた。江戸中期の国学者である。
「鉄道の父」と称され井上勝は、萩藩士の三男として生まれた。15歳から長崎、江戸で学び、文久3年(1863)井上馨、伊藤博文らとともにイギリスに密航し、鉄道と鉱山技術を学ぶ。日本の鉄道建設に最初から関わり、明治4年(1871)には初代鉄道頭となり、明治5年(1872)、新橋・横浜間の鉄道を完成された。
御成橋は、江戸時代、将軍が鷹狩に行く際にこの橋を渡ったとされ、「将軍の御成り」からこの橋の名がついたと言われている。
目黒川の柳は、品川区の「しながわ百景」指定の観光名所である。
約3.8kmにおよぶ川沿いの桜並木(約800本)は、都内の名所のひとつに数えられている。
散歩コース
芝浦ふ頭駅(ゆりかもめ)~レインボーブリッジ遊歩道~天王洲アイル~品川宿~品川神社~東海寺~目黒川~中目黒駅(東急田東横線)