ゆかりの地
東京国際フォーラムは土佐藩山内家上屋敷の跡地に建てられた。
太田道灌は、永享4年(1432)、室町時代関東管領の一族・扇谷上杉家の家老の家柄に生まれた。本名は資長。幼い頃から才気煥発で、父の資清(道真)から「知恵のある者はつい偽りを用いてしまうものだが、それは災いのもとだ。障子はまっすぐでないと立たないように、つねに真っ正直でいろ」と戒められると、「屏風は曲がっていないと立ちません」と反論した。
長禄元年(1457)、江戸城は、扇谷上杉家の家老の太田道灌が、古河公足利成氏との抗争の戦略拠点として築いた平山城である。道灌築城の江戸城は、長くのびた台地の先端部、現在の本丸(皇居東御苑)の位置に築かれていた。
江戸城築城で有名な太田道灌は、この地で生まれ、扇谷上杉家の家宰として活躍した。この太田道灌公の墓は文政9年(1826)に水戸徳川家の子孫である英勝寺住職が以前の墓を再建したもの。