英勝寺寺地は太田道灌の邸宅跡といわれ、鎌倉尼五山第1位の太平寺の遺領を引きつぐことから、その名跡をついだ寺と考えられている。
英勝寺前のJR横須賀線踏切近くに「扇谷上杉管領屋敷跡碑」が建てられている。
「寛永13年(1636)、英勝寺は浄土宗、山号は東光山、開山は玉峯清因(徳川頼房の息女)、開基は英勝院尼によって創建された。英勝院尼は太田道灌から四代あとの太田康資の娘で、徳川家康の側室となったお勝の方である。お勝は家康との間に生まれた女子が早世してしまい、水戸家を創始した家康の11男徳川頼房の養母となった。現在鎌倉唯一の尼寺。
明治維新後の廃仏毀釈や水戸家の保護を失った打撃は大きく、また、横須賀線の開通に伴い寺地や堂芋の一部も失った。大正12年(1923)の関東大震災で堂字は倒壊したが、その後修復し、現在創建当初の仏殿・鐘楼・詞堂・唐門などの建物が残っている。」(※)
元和2年(1610)、お勝の方は家康が死去して出家し、英勝院尼と改めた。寛永13年(1636)に英勝寺を建立した。以後水戸徳川家の姫が代々住持となり、「水戸様の尼寺」と称せられた。寺領420石は建長寺よりも多く、寺でありながら大名屋敷のようであり、水戸家御殿ともいわれた。
山門は、寛永2年(1643)、讃岐高松藩・初代藩主松平頼重(徳川光圀の兄)が建立した。扁額「英勝寺」は後水尾上皇宸筆によるもの。屋根瓦には、三葉葵の徳川家の家紋が見られる。
寛永13年(1636)に建立されたという仏殿は、宝珠殿と称し禅宗建築の様式を取り入れ重層の5間四方の建物。
堂内中央には、三代将軍徳川家光からの寄進で、運慶作といわれている阿弥陀三尊像(本尊阿弥陀如来像と左脇侍・観音菩薩像・右脇侍・勢至菩薩像)が安置されている。堂内の天井には、極彩色の鳥や天女の絵が華やかに描かれている。
仏殿裳階の蟇股には十二支の彫刻が配されている。
鐘楼は、袴腰つきの入母屋造です。鐘には林羅山の銘がある。
祠堂の門である唐門は、桃山様式の一間一戸の平唐門。
開基英勝院をまつった霊廟である祠堂があり、金粉がほどこされ、華麗な極彩色の模様などの桃山様式の作風を伝えている。
竹林の中庭は姫御殿跡。
お茶を頂くことができる。
【梅・椿 3月】
祠堂前に植えられている侘助(ワビスケ)は、鎌倉市の天然記念物に指定されている。
【アジサイ 6月】
【ビヨウヤナギ 6月】
入口付近に植えられていたビヨウヤナギ(未央柳)が綺麗です。
ビヨウヤナギは中国原産で、初夏に黄色の5枚の花弁のある花を咲かせる。
【ヒガンバナ 9月】
鎌倉の彼岸花の名所といわれ、境内には9月中旬から下旬にかけて沢山の彼岸花が咲く。
【ハギ 9月】
英勝寺の門前を線路沿いに北へいった左側の小岩窟内に、阿仏尼墓と伝えられる六層塔の供養塔がある。「十六夜日記」の作者で知られる阿仏尼は、冷泉家の始祖冷泉為相の母である。