冷泉為相 は、別名「藤谷黄門」と呼ばれていた。為相は歌人藤原定家の孫で、歌道の名門冷泉家の始祖である。母は阿仏尼である。
やぐらの背後の山上に、安山岩製の宝篋印塔の冷泉為相の墓(国史跡)がある。
浄光明寺は浄真言宗泉涌寺派、山号は泉谷山、開山は真阿(真聖国師)、開基は六代執権北条長時で、建長3年(1251)の創建という。
阿弥陀堂には本尊の阿弥陀三尊坐像(「木造阿弥陀如来及脇侍坐像」が安置されていたが、現在は、収蔵庫に本尊の阿弥陀三尊像と足利直義の念持仏と伝えらる地蔵菩薩像(矢拾い地蔵)が保管されている。
大伴氏は、源頼朝により鶴岡八幡宮の神職に初代大伴清之が任命されて以来、明治になるまでの25代が神主職を歴任している。
不動堂には、八坂不動と呼ばれる木造の不動明王像が安置されている。
泉ノ井(鎌倉十井)は、比較的原形がよく残されており、今でもきれいな水が出ている。